②JMUアムテック

相生の船舶海洋事業を継承するアムテック

IHI相生が新造船事業から撤退し、平成2(1990)年、船舶を建造していた相生第1工場の開発工作部門と修理部門を受け継いで株式会社アイ・エイチ・アイ・アムテックが発足した。
船舶の船首ブロックや居住区の製造、海洋環境船の建造・フェリーの改造など船舶海洋事業を展開しており、平成25(2013)年から株式会社JMUアムテックとなった。

IHI相生事業所は、相生湾の西岸に沿って南北に工場群が展開している。造船所や港は、入港してくる船から見る風景が本当の美しさであるといわれる。緑の山々と青い海に囲まれて船台やクレーンが続く播磨造船所は「最も審美的な造船所」という人もいるほど美しい造船所であった。

大正時代、鈴木商店の少壮社員として相生に勤務した林彦一は、播磨造船所青年会会歌でこう歌う。
   山悠久の態をなし  海は平和の色湛う

   自然の良港相生の  誇りや播磨造船所

クレーンの林立しているあたりが、鈴木商店時代の播磨造船所にあたる工場で、JMUアムテックが引き継いでいる。
戦時中から戦後にかけて播磨造船所は南に向かって拡張が続き、造機部門の工場や修繕ドックが増設された。

JMUアムテックの史料館には、鈴木商店が造船事業に乗り出した頃の資料が保存されている。鈴木商店ネット記念館の取材で、JMUアムテック史料館を訪れて見せていただいたのは、大正9(1920)年に船鉄交換船として建造された「Eastern Soldier」のジェネラル・アレンジメント(一般配置図)という貴重な図面である。

  • クレーンが林立するアムテック
  • 相生湾の西岸に展開するIHI相生
  • アムテックにやってきたフェリー

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