⑥播磨造船所慰霊碑

造船所で殉職した人のために建立された慰霊碑

大正13(1924)年、播磨造船所の三上英果工場長は殉職者のための慰霊碑を社宅街の中央にある磯際山頂に建立する計画を立てた。

碑の礎石は那波野の山から運び、碑石は陸の狐塚古墳の石室の蓋の譲渡を那波村長に懇請して使用した。11月2日、全従業員が参列して厳粛な除幕式と慰霊祭を挙行、それ以来、春には海上運動会、秋には慰霊祭と陸上運動会が年中行事となった。

昭和32(1957)年、播磨造船所は、工場裏山の北山麓に広がる桜ヶ丘を整備して野球場・プール等のスポーツ施設の建設を進めた。施設の整備にあたり、磯際山の慰霊碑は桜ヶ丘に移転され、慰霊祭が催された。

現在、野球場は多目的広場に変わり、あいおい牡蠣祭りなどのイベント会場として利用されている。慰霊碑は、多目的広場の奥にあたる山裾にひっそりと佇んでいる。

  • 現在の慰霊碑
  • 大正時代の社宅街と磯際山の慰霊碑
  • 昭和32年、移転した慰霊碑前での慰霊祭

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