⑩IHI播磨病院

相生の医療を支えてきた播磨病院

鈴木商店は、このあたりの海や田畑を埋め立て大規模な社宅街を建設し、その一画に病院を設立した。大正6(1917)年、播磨造船所附属薮谷医院が開院、大正11(1922)年に播磨病院となり、現在に至るまで、西播磨有数の病院として地域の医療に貢献している。

大正11(1922)年に開院した頃の播磨病院は、本町通りにあった。昭和33(1958)年、現在地に新築移転し、平成22(2010)年に新しい病棟・診療棟が竣工した。大正時代の病院跡地は、コープ中央店になっている。

鈴木商店による近代化から一世紀が経過し、相生には大正時代の建築と建て替えられた新しい建築が混在している。播磨病院の南には、播磨造船所が大正時代に中堅幹部社員の住宅として建設した弁天社宅が点々と残っている。

浦山貢・桐郎父子は、弁天社宅とよばれる社員社宅の住人であった。
浦山貢は鈴木商店の名古屋支店に勤めていたが、鈴木商店が破綻したため播磨造船所に入社、相生に移り住んだ。貢は、有名な歌人で、相生小唄・相生音頭・相生市歌を作詞、歌碑が歴史民俗資料館の近くに、市歌碑が市役所前の庭園にある。

浦山桐郎は、貢が相生に来てから生まれ弁天社宅で育った。戦後、父、浦山貢の自殺により、桐郎は相生を離れて名古屋大学に進学し映画監督をめざした。そして、子供の頃に見た播磨造船所のキューポラの思い出から小説「キューポラのある街」の映画化に取り組む。

昭和37(1962)年、浦山桐郎監督のデビュー作「キューポラのある街」が封切られ、この映画で吉永小百合は主演女優の地位を確かなものとする。「キューポラのある街」が公開されると、桐郎は相生の映画館で故郷の人々の反応を確かめ、なじみの書店を回って、旧友のもとを訪ねたという。

  • 播磨病院の南に残る弁天社宅
  • 大正時代の播磨病院
  • 平成22年に新築されたIHI播磨病院

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