①帝国石油 / 旭石油(道川油田)/ 出羽石油

 鈴木商店の本格的な石油資源開発会社「帝国石油」により国内外に石油事業を展開

 大正5(1916)年12月、地元有力者により「帝国石油(株)」(資本金600万円)が設立された。秋田県に試掘99鉱区、新潟県に試掘11鉱区、採掘4鉱区を有してスタートするも軌道に乗せることができず、鈴木商店に支援を求めた。

 大正7(1918)年8月、鈴木商店は株式の60%を取得して帝国石油を買収し、経営陣を一新して経営に乗り出した。(取締役社長藤田謙一、専務取締役岡和、取締役石橋為之助、*大川久平、長崎英造、宮尾麟、*大井卜新、監査役宇佐美薫次、金光庸夫、*佐藤一雄、瀬島猪之丞(*は旧経営陣))

さらに同年9月、鈴木商店は、出羽石油(株)の株式の約53%(60,000株のうち32,000株)を取得し、経営の実権を獲得する。 

 帝国石油は、秋田での採油事業のほかにペルシャ原油の輸入や原油の精製にも乗り出した。アングロ・ペルシャ社からペルシャ原油を輸入して精製を開始した。そのため、播磨造船所にて日本初の民間大型タンカーとなる橘丸のほか、満珠丸、千珠丸(いずれも6,000トン級タンカー)を建造している。自社タンカーで外油を輸入したのは帝国石油が最初といわれている。(大正10(1921)年)

 鈴木商店は、これらのタンカーにより満州産大豆油を欧州に輸出し、帰港米国より鉱油(原油等)を輸入して帝国石油・徳山製油所(後の旭石油・徳山製油所)にて精製し、石油製品の販売にも本格的に進出した。 

(旧)旭石油の前身・旭精油はタンカー部門を有し、帝国石油と相前後してライジングサン社から外油(サラワク・ミリ原油、ボルネオ・タラカン原油)を輸入して旭精油大島製油所で精製し、主に潤滑油を製造していた。

 (旧)旭石油は設立直後の大正10年5月、ライジングサン社から重油を輸入し、閉鎖中のライジングサン社の西戸崎製油所(福岡県)を借り受けて外油の輸入・精製に着手している。

 帝国石油の秋田での採油事業は、大正10(1921)年6月由利郡の"道川鉱場"(道川油田、南秋田郡の道川油田とは別の鉱区)の開発から始まり、大正11(1922)年3月に日産500石~550石の自噴を見た後、新生"旭石油"に継承された。旭石油として道川鉱場のほか上井河鉱場(南秋田郡上井河村)、濁川鉱場(山本郡響村濁川)、高尾鉱場(由利郡下川大内村高尾)を相次いで着手した。また前述の"出羽石油"は、帝国石油に吸収された後、同旭石油の事業に引き継がれた。(「秋田石油案内」P94~P96 1923年 秋田鉱業時報社発行)

関連資料

  • 秋田県のおもな油田・ガス田
  • 道川油田( 由利郡道川村)
  • 旭石油・徳山製油所

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