①鈴木商店ボンベイ出張所

タタスチールとの銑鉄取引を契機にタタ財閥との信頼関係を確立

昭和2(1927)年当時のボンベイ出張所  P.O.Box 434, Navsari Building, Hornby Road,Fort, BOMBAY, India (現在の住所表示:DR Dadabhai Naoroji Rd. Azad Maidan,Fort,Mumbai,Maharashtra,India)

 第一次世界大戦中、鈴木商店がタタ製鉄との間で結んだ日本向け銑鉄の長期輸入契約(川崎造船所向け6万トン、神戸製鋼所向け6万トン)に関して、戦後、引き取りを巡るトラブルは訴訟に発展しかかったが、渋沢栄一(第一銀行頭取;当時)の調停により円満に解決(大正10(1921)年)。(写真は、鈴木商店ボンベイ出張所があったNavsari Building)

 同年10月、ボンベイ出張所に赴任した多賀二夫は、タタ財閥との信頼関係を築き、鈴木破綻後もタタ銑鉄の輸入権を守り抜き新生・日商の貴重な商権として引き継いだ。後年、タタグループのJ.R.D.タタ元会長は、「今日世界で何人がかかる信義に基づく取引をするだろうか。タタはその歴史上、日商には多大なる恩義がある」とタタグループ、そして日本の外交官、銀行マンなどの前でスピーチしたという。

 大正末期、ボンベイ出張所は、タタ製鉄、マイソール製鉄(インド南部のマイソール藩王国政府の直営)の銑鉄(毎年20万トン)、綿花の日本向け輸出、ジャワの砂糖、日本からの綿糸布、人絹、毛織物のインドへの輸入業務を多賀所長以下10数名の陣容で行っていた。

 鈴木商店ボンベイ出張所は、タタ財閥、ビルラ財閥(ビルラ商会)など地元有力企業との取引が柱となっていた。

関連資料

  • ナヴサリ・ビルディング
  • JRDタタ

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