②大里製糖所(現・関門製糖)

鈴木商店大里進出第一号となる大里製糖所

明治36(1903)年に設立。近代化産業遺産。

大里製糖所は、現在も関門製糖として110年間経った現在も稼働を続けている。概観も当時のままの煉瓦造りをそのまま維持している。道路を挟んだ原料用倉庫も当時の建物をそのまま使用。岸壁にも当時の面影を感じることができる。

鈴木商店が大日本製糖に対抗するため製糖事業の進出を計画。大里の水、石炭、労働力、輸送面における利点を生かし、製糖工場としては日本初の臨海工場と言える大里製糖所を設立した。「煉瓦一枚と馬蹄銀一枚と交換するんだ」と金子に言わしめたこの製糖所は、果たして翌年には通算45万円(当時)の純益を出し、既存の製糖会社に警戒感を持たせた。

日本製糖と大里製糖所、日本精製糖の三社が合併する話が進められると、鈴木商店は、新会社に大里製糖所を買収させる形で話に応じた。金250万円もの資本を投じて作られた大里製糖所は明治40(1907)年、新会社である大日本製糖に650万円で買収され、鈴木商店は差し引き約400万円もの余剰金と北海道や九州、朝鮮などでの製糖販売権を得た。

これを元手にして、ここ大里の地に一大工場群を建設することとなり、また神戸製鋼所への設備投資資金にも振り向けられ、鈴木商店の重工業化への加速のきっかけともなった。かつての大里製糖所は、当初建設した第一工場及び明治39(1906)年に増設した第二工場の大部分および製品搬出入用の岸壁が、関門製糖工場の施設として現存する。

その後の大里工場の歴史は、昭和25(1950)年には、かつての「大日本製糖」として戦後復興、再建を目指す。昭和57(1982)年に三菱商事と共同で設立された生産受託会社「西日本製糖」の工場となる。平成13(2001)年、大日本明治製糖と日本甜菜(テンサイ)製糖の共同生産受託会社として「関門製糖」に社名変更され現在に至っている。

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