①高畑誠一生家跡(内子町)

町民により高畑の功績が現在にも伝えられる


高畑誠一は明治20(1887)年、父・高畑宗次郎、母・タキセの長男として内子町に生まれた。生家の「藤屋」は13代続くよろず屋だったが、誠一が小学校に入学する頃には生糸と木蝋製造に商売替えしていた(「木蝋」(もくろう)とは、江戸時代より製造が始まったもので、ロウソクや化粧品や医薬品、光沢材などに利用されたもので、原料はハゼノキの実であり、木蝋の多くは主に海外へ輸出された)。

内子町の旧市街地は、この木蝋産業が色濃く残る町で、特に木蝋生産で財を成した本芳我家住宅と上芳我家住宅は国の重要文化財指定を受けており、町の家屋群も重厚な漆喰壁と古風な佇まいを残している。八日市護国地区は、江戸・明治期の伝統的な建物が数多く残り、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

木蝋や生糸の生産で栄えていた時代、芸術・芸能を愛してやまない人々の熱意によって大正5(1916)年には劇場「内子座」が創建され現代に保存・活用されている。

同町内には高畑の生家跡地があり、そこには地元有志の会で高畑誠一の偉業を称える碑が建てられ、「貿易界先覚者」と記されている。

  • 高畑誠一の偉業を称える生家跡地の碑(内子町/内子本町二丁目)
  • 古風な佇まいの残る家々(内子町)
  • 劇場「内子座」(内子町)

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