⑧西条高校(西条市)
高畑誠一の出身高校
愛媛県西条市にある西条高校は高畑誠一の出身校である。創立以来120年の歴史を持つ伝統校であり、甲子園の常連校で、巨人・藤田監督の出身高校としても有名で、多くのプロ野球選手を輩出しており、昭和34(1959)年に甲子園で優勝した際には、高畑が母校に寄付をし、高畑奨学金を設立。現在もこの奨学金制度は続いている。政治経済会の卒業生には、新幹線建設に尽力した元国鉄総裁・十河信二や語学の天才として知られた外交官・伊藤述史(初代情報局総裁、国際連盟事務局長)ら多くの偉人を輩出している高校である。
伊藤述史は神戸高商の卒業生でもあり、高畑の二つ上。高畑の神戸高商入学もこの伊藤の助言がきっかけである。帝人・秦逸三や神戸製鋼所・田宮嘉右衛門の洋行時にも、外交官として現地に勤務していた伊藤の支援を得るなど、鈴木商店とは縁が深い。
高畑は、明治33(1900)年に西条高校(当時は西条中学)に入学しているが、もともとは内子町の自宅からも近い松山高校(松山中学)が志望校だったが、松山中学の受験時に体格検査で不合格にされてしまったのである。高畑はもともと心臓が弱かったが、人一倍勉強してきただけに本人は非常にショックであった。入学試験さえ受けられなかったのである。そんな高畑をみた父が事前に西条高校に事情を相談し、この程度の状況なら問題なしとの学校側の判断で、入学試験が行われ入学できたという経緯がある。
当時、西条高校は本家・松山高校と比べ創立間もなかったことから「松山に追いつき、追い越せ」が合言葉になっていた。体が弱かったせいで盛んなスポーツは健康法の一つとしてテニスをしていた程度であったが、勉強だけは人一倍よくやった。入学後、1年後には下宿よりも静かな田んぼの中の一軒家を借りて住んだ。高畑はこの中学時代も英語の勉強に力を入れている。同校に本場仕込みの英語の教師がおり、よく教師の自宅に訪問して習った。また、英語武者修行気取りで、別子銅山英人技師や神戸居留地の外国人相手に直接ぶつかって会話をし、実用英語の勉強をしている。卒業時には2年先輩の伊藤述史(のちのフランス大使)から神戸高商(現・神戸大)を勧められ、進学した。