⑪太陽高等学校

羽幌炭砿や地域で働く勤労青少年の学び舎

太陽高等学校は昭和26(1951)年4月10日、北海道羽幌高等学校の太陽分校(定時制)として開校し、羽幌炭砿に働く青少年の資質向上とあわせて、地域一般の勤労青少年教育の重責を担った。校舎は、太陽小学校に併置していた太陽中学校を併用した。

「太陽」の名称は、創業期の炭鉱所有者で鈴木商店の後継会社たる太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)に由来する。

昭和27(1952)年11月21日、羽幌町立北海道羽幌太陽高等学校として独立。昭和30(1955)年11月21日、太陽中学校の校舎が金子町に完成したことに伴い、同校舎に移転。昭和37(1962)年5月29日、曙地区に独立校舎が完成し移転。昭和46(1971)年3月31日、炭砿の閉山に伴い廃校。

この時期、炭砿の閉山に伴い地域の生徒数は激減し、各学校は統合、移転、閉校を余儀なくされた。昭和46(1971)年5月10日、この太陽高等学校跡には北辰中学校(*)が移転してきたが、昭和50(1975)年3月31日に閉校。翌4月1日に羽幌中学校に統合された。

(*)昭和39(1964)年10月1日、旭ヶ丘中学校と曙中学校が統合して開校した。

その直後の同年4月、入れ代わるように曙小学校が移転してきたが、その曙小学校も平成2(1990)年3月31日に閉校。翌4月1日に幌北小学校に統合された。

現在も、校舎や体育館が残されており、正門の門柱には「羽幌町立曙小学校」の校名が掲げられている。玄関口には校章が2つ掲げられており、中央が太陽高等学校、その左が曙小学校の校章である。

このように、この太陽高等学校を含む地域の学校は、炭砿の閉山に翻弄されたのである。

  • 太陽高等学校正門跡(平成26年10月)
  • 太陽高等学校の玄関口上部に掲げられた2つの校章(平成26年10月)
  • 太陽高等学校(当時)

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