⑮築別駅

羽幌炭鉱鉄道が国鉄に接続する重要な中継駅

石炭産業は運搬業とも言われるほど炭鉱開発には石炭搬出用の鉄道の敷設が不可欠であり、昭和16(1941)年12月14日に開通した羽幌炭砿鉄道も内陸の築別炭砿駅から国鉄羽幌線に至る16.6kmを結ぶ、まさに石炭搬送鉄道であった。

羽幌線は昭和7年以降、羽幌駅で延伸工事がストップしていたが、戦時下の資源開発の重要性が認識され、羽幌炭砿鉄道の開業に数日先行する昭和16(1941)年12月9日、「羽幌―築別」間が延伸された。        

かつて羽幌炭砿鉄道が羽幌線と接続していたのは、羽幌町の中心部から5kmほど北側の「築別駅」であった。駅名の「築別」は駅の所在する地名であり、アイヌ語の「チュク・ペツ」(秋の川) に由来すると言われている。羽幌炭砿鉄道の「築別駅」と羽幌線の「築別駅」は隣接しており、羽幌炭鉱鉄道は旧築別郵便局の裏手から分岐して大きくカーブを描き、築別川に沿って内陸へと進路をとっていた。

炭砿を出発し「築別駅」に到着した石炭車は、スイッチバックして一旦駅裏のストックヤード側にあった側線に留置された後、羽幌線を留萌方面へと向かった。本州向けの羽幌炭は、留萌港から羽幌炭鉱鉄道の系列会社「京北海運」(社長は親会社の町田叡光社長)が所有する石炭輸送専用船「羽幌丸」、「天塩丸」、「留萌丸」、「雄冬丸」などに船積みされ、本州方面へ搬送された。道内向けの羽幌炭はさらに先の深川駅に一旦留置され、そこから道内の各方面へ搬送された。

一方、旅客列車はスイッチバックして羽幌線に入り、国鉄車両に連結する形で羽幌駅まで乗り入れていた。昭和33(1958)年頃、1日2往復ではあったが「築別駅」を中継駅とした国鉄への直接乗り入れが実現した。「築別炭砿-羽幌」間が直通運転となり、炭鉱住宅から羽幌高等学校へ通う学生や、羽幌町の市街地から炭鉱へ通勤する住民の利便性が格段に向上した。

ところで、「ある国鉄職員は配給される石炭の質が悪かったので、寒い冬を越すため、夜中に築別駅に停車中の貨車から羽幌炭をごっそり取って来た。」という話しが伝えられているが、羽幌炭は燃えやすく煙が少ない良質な炭との折り紙がつけられていたことを裏付ける逸話である。 

羽幌炭砿鉄道の「築別駅」は昭和45(1970)12月14日の同鉄道廃止に伴い廃止された。また、国鉄の「築別駅」は国鉄民営化直前の昭和62(1987)年3月30日、羽幌線の廃線に伴い廃止となった。現在の築別駅跡には駅舎や線路などは残っておらず、プラットホームの跡が盛り上がっているだけの草原になっている。  

  • 築別駅のプラットホーム跡(平成25年頃)
  • 築別駅跡(平成25年頃)
  • 築別駅(当時)

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