羽幌本坑の本斜坑口・第二斜坑口

羽幌本坑の二つの採炭坑道の坑口

国鉄名羽線の開通を目前に控え、羽幌鉱業所(羽幌本坑と上羽幌坑を管轄)を中心とする昭和35(1960)年からの合理化5カ年計画が策定され、その一環として昭和40(1965)年6月に運搬立坑が完成する。

これに伴い、採炭用の主力坑道である本斜坑から延伸した坑道と立坑の竪入坑道とを貫通させ、出炭ルートはそれまでの本斜坑から立坑による運搬体系に切り替えられた。そして、本斜坑まで達するのに1時間を要していたのが約30分に短縮された。

昭和39(1964)年11月、立坑側と第二斜坑側を結ぶ待望の八片連絡坑道6,500㍍が貫通した。この坑道の目的は運搬立坑同様、通気の確保、ガス抜き、さらには羽幌本坑の運搬系統の複雑化の解消にあった。地質の悪さは想像以上で一進一退の難工事であったが、予定より1週間遅れで完成。

この坑道の完成によって、本斜坑は資材搬入、立坑は入気・運搬、第二斜坑は排気という羽幌本坑の基本構造が確立した。

本斜坑口は、羽幌本坑坑口から南におよそ約500メートルの道道741号線沿いに位置していた。本斜坑口の上部に掲げられた「本斜坑」名の標示板(当時、炭砿では「扁額」と呼ばれていた)は大理石の立派なもので、現在も当時のままの状態を保っている。

第二斜坑口は、本斜坑口からさらに南東におよそ500メートル、排気立坑坑口の南側すぐの同じく道道741号線沿いに位置していた。坑口の上部には「第二斜坑」名の標示坂を認めることができる。

現在は、いずれの坑口も雑草に覆われているため、道路上からその姿を見ることはできない。

  • 羽幌本坑の本斜坑口(平成25年頃)
  • 羽幌本坑の第二斜坑口(平成25年頃)
  • 羽幌本坑の第二斜坑口(当時)

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