旭ヶ丘小学校・旭ヶ丘中学校
羽幌本坑の盛衰とともに歩む
旭ヶ丘小学校は昭和26(1951)年2月1日、羽幌町立曙小学校三毛別分教場として羽幌本坑に開校した。この分教場は羽幌本坑の事業拡張に伴い三毛別地区の児童が急増したため、曙小学校が羽幌砿業所内に低学年用のバラック建ての校舎を設置したものである。同年12月1日、羽幌町立旭ヶ丘小学校として開校認可され独立。翌昭和27(1952)年2月19日、新校舎が完成する。場所は羽幌鉱業所の東側、旭町に位置していた。
三毛別地区の児童はその後も増加し続け、昭和28(1953)年4月には6学級編成となり、校舎も増築に増築を重ねるといった状況であった。
しかし、昭和45(1970)年11月の炭砿閉山により児童の減少が著しく、同年5月に13学級、463名の本校も翌昭和46(1971)年5月には3学級、47名の小規模校となり同月31日、廃校を余儀なくされた。
なお、三毛別地区の中学生は当初太陽中学校曙分校に通学していたが、学生の急増に対処するため昭和33(1958)年1月16日、旭ヶ丘中学校が旭ヶ丘小学校に併置する形で新設された。昭和35(1960)年4月時点では5学級、136名の規模であった。昭和36(1961)年5月1日、旭ヶ丘小学校から分離独立。
昭和39(1964)年5月24日、旭ヶ丘中学校の教室付近から出火し中学校の校舎部分が全焼した。この火災を機に同年10月1日、旭ヶ丘中学校と曙中学校が統合され新たに北辰中学校として開校した。
現在、旭ヶ丘小学校跡にはわずかに建物の基礎部分とプール跡などを残すのみとなっている。