羽幌本坑の運搬立坑
偉容を誇る羽幌炭砿のシンボル的存在
運搬立坑は羽幌本坑における深く複雑化した石炭運搬面の打開と生産の増強、入排気の改善など複合的な目的のために掘削された立坑(垂直に掘削された坑道)で、巻上げ塔はトロッコや作業員などを運ぶエレベーターのような昇降機を収めた建物である。
国鉄名羽線の開通を目前に控え、羽幌鉱業所(羽幌本坑と上羽幌坑を管轄)を中心とする昭和35(1960)年からの合理化5カ年計画が策定され、その一環として昭和36(1961)年6月、総工費17億円を投じ着工。昭和40(1965)年6月に完成。
これに先立ち昭和39(1964)年11月、立坑側と第二斜坑側を結ぶ八片連絡坑道6,500㍍が貫通した。この坑道の目的は運搬立坑同様、通気の確保、ガス抜き、さらには羽幌本坑の運搬系統の複雑化の解消にあった。地質の悪さは想像以上で一進一退の難工事であったが、予定より1週間遅れで完成。
これにより、斜坑は資材搬入、立坑は運搬・入気、第二斜坑は排気という羽幌本坑の基本構造が確立され、深部採炭の基盤が完成する。
運搬立坑は、地上39.4㍍、深さ512㍍、5階最上部の巻上げリールは内径6㍍。地下512㍍から石炭満載のトロッコが約1分で上がって来る。巻上げ機をフル運転すると、1時間に炭車80車両、約1,000㌧の石炭が揚炭できた。また人員は1回に50人が昇降でき、それまで本斜坑まで達するのに1時間を要していたのが約30分に短縮された。
巻上げ機は、当時珍しかったケーペー式を採用。トランジスタ回路による自動制御方式で、880kW、約1,200馬力の能力を持っていた。
建物は、最上階の5階には巻上げ機とそのシーブ(案内車)、運転室、中5階には巻上げ機の制動機、4階には各種配電盤室、3階以下には運転室、鉱務課・電気課・開発課の事務室、安全灯室、繰込待合所、坑口浴場、ロッカー室、売店などの現業部門が集約され、立坑の坑口から5階の間にはエレベーターが昇降していた。
昭和45(1970)年11月の閉山までわずか数年を残すのみであったが、運搬立坑は羽幌本坑の心臓部として稼働し、羽幌炭砿のシンボル的存在となった。現在も巻上げ塔の偉容は、訪れる人々を圧倒せずにはおかないだろう。