(A)-④辰巳橋

人々の暮らしを見守り続けた橋

築別炭砿駅を降りて炭鉱の中心部へ向かう時、人々は必ずこの橋を渡らなければならなかった。すなわち、築別炭砿事務所方面に通じるメインストリートの途中に築別川が流れており、そこに架かる橋が「辰巳橋」である。

橋の名称は、かつて鈴木商店の先代・鈴木岩治郎が番頭として働き、その後鈴木商店が暖簾を譲り受けた「辰巳屋」の屋号に由来する。

従業員が炭坑に入るために使用する橋であり、住民が役場支所、消防本部、会館、クラブ、配給所、生協、大五百貨店、映画館、スキー場、ジャンプ台、さらには大山祇神社への参拝、お祭りの出店、花火大会などに行くためには必ず通る、生活に密着したなくてはならない橋であった。

時には、炭坑の落盤、ガス爆発、自然発火などの事故発生時に保安隊や救護班、救急車、家族や同僚が不安な気持ちでこの橋を渡り、坑口へと向かう。橋の手前には羽幌炭砿鉄道病院があり、負傷者を坑口から病院へ運ぶ橋でもあった。まさに、人々の暮らしを見守り続けた橋であった。

辰巳橋は羽幌炭砿創業期の昭和16(1941)年に架設された。その後昭和31(1956)年に架け換えられたが、幅員4.5㍍とあって大型バス、トラックの通行は幅ギリギリ一杯で通行量も急増していた。築別鉱業所は橋に幅1㍍の「人道」を増設してしのぎつつ、羽幌町に永久橋の架設を求めた結果、昭和38(1963)年春に総工費2,530万円をもって工事着工となった。

その年の11月、住民のだれもが待ち望んでいた幅員9㍍、(内「人道」3㍍)、全長37㍍の鉄筋コンクリート造りのスマートな永久橋が完成した。

同年11月29日、橋の前で関係者200名が参列して竣工式が行われ、その後炭鉱創業前から当地に住んでおられたご夫婦3組が神官に先導され、太陽中学校のブラスバンド、幼稚園児170名のうち振る日の丸の小旗の中、渡り初めが盛大に行われた。

  • 辰巳橋跡(平成26年7月)
  • 渡り初め 

    (羽幌炭砿の社報:昭和38年12月2日付「石炭羽幌」)

  • 辰巳橋(昭和36年頃)

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