⑥外国人居留地

金子直吉が通い、欧米の先進技術にふれた地

神戸外国人居留地は、慶応3(1868)年から明治32(1899)年までの30年余の期間、当時の兵庫市街地から3.5km東に離れた神戸村(現在神戸市中央区)に設けられた。東西を川に、北を西国街道(後の花時計線)に、南を海に囲まれた土地で外国人を隔離する目的で作られ、居留地内は治外法権が認められ、居留外国人の自治組織で運営された。

創業間もない鈴木商店は、栄町通に店を構え居留地のラスペ商会、オットライマース商会、シモン・エバース商会等の外国商館との取引が主体であった。実業家の大矢滋氏がドイツ・ハンブルクのシモン・エバース商会を訪ねた旅行記には、次のように記されており、鈴木商店と同社の関係が窺い知れる。「・・・大正8年頃日本には三井物産や三菱商事の売上を上回っていた鈴木商店という商社があり、その鈴木商店の最大の売上先がシモン・エバース商会だったというからシモン・エバース商会の当時の企業規模が窺える。」

神戸居留地の初期の建物は、他の居留地と異なり全て外国人建築家の主導の下で建てられ、明治30年代になって辰野金吾、曾禰達蔵、河合浩蔵等の日本人建築家の設計する建築物が多く建てられた。居留地は、イギリス人土木技師・J.W.ハートによって設計され126区画に整然と造成された土地は、今日もそのまま残されている。現存する居留地の建物は、ほとんど居留地返還後の大正期に建てられた。

 ◇3番館 海洋ビル
 ◇5番館 商船三井ビル
 ◇24番館 神戸市立博物館(元横浜正金銀行・神戸支店)
 ◇15番館 旧アメリカ領事館
 ◇38番館 大丸神戸店4(旧ナショナルシティバンク)
 ◇80番館 神戸ランプミュージアム

金子直吉が居留地に通った同時期に、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、明治27(1894)年から2年間、居留地内の新聞社コーベ・クロニクル(後のジャパン・クロニクル)で社説を執筆し、評論活動をしていた。この居留地時代に日本への帰化を決意したといわれている。

  • 明治初期の居留地海岸通
  • ドイツ・ハンブルクのシモン・エバース商会

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