⑦-2 後藤回漕店~鈴木商店ゆかりの企業訪問シリーズ②
金子直吉を後藤新平へ橋渡しした神戸財界の名士
鈴木商店飛躍のきっかけとなった台湾樟脳取引の影の恩人とも云うべき後藤勝造と鈴木商店との信頼関係は、緊密で商取引のみならず神戸財界活動でも互いに協力関係を 深めた。
新規事業に意欲的で、「なんでも屋」と異名を持つ後藤勝造は、食堂、ホテル(みかどホテル)、列車食堂などの経営に乗り出したばかりか、鈴木岩治郎の話からヒントを得て、台湾から樟脳の廃液をドラム缶に詰めて輸入、これを薄めてトイレの防臭剤として売り出そうと計画した。後藤新平との関係から台湾総督府より薬局法による消毒液の認定を受け、売り出したところ大当たりした。第一次世界大戦中、武田長兵衛商店(現・武田薬品工業)に販売権を譲渡するまで後藤回漕店の「デシン」(商品名)は、家庭の常備薬として広く愛用されたという。台湾の樟脳に絡んで鈴木商店と後藤回漕店に接点があったことは興味深い。なお、デシンは、今日でも第2類医薬品として「きず薬」の成分に応用され市販されている。
後藤回漕店の社章「まるマ」のマークは、後藤勝造が修業した神戸の回漕問屋「松尾松之助」に因み、松尾家のマツの文字を図案化したもの。一方、鈴木商店では取り扱う商品について商品ごとに登録商標を定めているが、明治45年に登録した「麦粉」の商標に何故か「まるマ」のマークが組み込まれている。鈴木商店と後藤回漕店の信頼関係を表すシンボルなのか定かではない。