⑩日本テルペン化学(旧・再製樟脳)

台湾の樟脳専売制が内地にも導入、再生樟脳株式会社を設立

明治36(1903)年、台湾に引き続き、内地にも樟脳専売制度が導入されることになった。制度導入に反対する同業者に対し、金子直吉は国策上の必要から反対の非理を説いて、神戸市内の樟脳再製業者からなる「匿名組合」を組織し、組合の共同経営の下で再製を請け負うことで、反対の矛を収めさせた。

大正8(1919)年、鈴木商店は、生産効率や対外交渉力の向上の必要から、「匿名組合」に所属する業者らを糾合し、再製樟脳株式会社を設立した。資本金100万円、発行株式2万株のうち、鈴木よねが8200株を保有し、他の鈴木商店関係者分を合わせると1万株以上を保有した。同社は附帯事業として、それまで海外に依存していた副産油処理に研究を加え、芳香油薬品類の製造販売をも行うこととし、大正11(1922)年には鈴木化学研究所の設備および当時門外不出とされた欧米の化学関連蔵書を買収した。

鈴木破綻後は、鈴木の支配を離れ、昭和39(1964)年には日本テルペン化学株式会社へと社名変更した。テルペンとは植物由来の油類の総称で、同社はその総合メーカーとして、各種工業原料、単品香料、医薬品などに用いられる幅広い製品を提供している。平成18(2006)年には創業の地脇浜町を離れ、六甲アイランドに本社を移転した。

  • 再製樟脳(神戸市脇浜町)
  • 日本テルペン化学(神戸市東灘区向洋町)

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