⑦-2 有馬温泉・兆楽に残る金子直吉晩年の俳句
お家再興の飽くなき熱情を有馬の宿で静かに詠んだ
金子直吉が晩年によく訪れた兆楽の先々代おかみに贈った俳句5首が「片水」号で残されている。鈴木破綻から十年の歳月が流れたが、金子直吉のお家再興の熱情は変わることなく抱きつづけるも、複雑な政情に揺れる心境が表われているようだ。
◇首振るも恵方むきけり寅の春 *1
◇重砲も恵方むきけり寅の春 *2
◇高原の蒙古も御代の福日哉 *3
◇亡国の民百日紅なり福時雨 *4
◇借金は山財産は川酌めども尽きず大江の水 *5
*1. 恵方: その年の歳徳神(としとくじん)のいる方角。その年の干支によって決められる。この句が詠まれた時期は記されていないが、鈴木商店破綻前後の寅年は、大正15(1926)年 丙寅(ひのえとら)または昭和13(1938)年 戊寅(つちのえとら)のいずれかだが、銀水荘が昭和2(1927)年創業からこの句は昭和13年の作と思われる。今年の恵方はどの方角か?・・・
*2.重砲: 大口径(155~420mm)で初速の大きい曲射弾道を持つ大砲。 重砲でさえ縁起を担いで恵方を向けるのか・・・
*3.高原の蒙古も御代:戦雲怪しくなった蒙古・新疆地区に駐蒙日本軍の主導で昭和14(1939)年、「蒙古聨合自治政府」が樹立され、政情安定に向かうことを願う心境を詠ったものか。 同時期に蒙古について同じような句が片水句集に見られる。
"君が代は蒙古の羊山西の炭 山東綿のあたたかき哉"
*4.亡国の民百日紅:比較的長い間紅色の花が咲くことから百日紅ともいうサルスベリもすでに葉が落ち時雨の降る風情は、亡国の民となった我が心境のようだ。
*5 大江の水: 滋賀県近江八幡市北の庄・大江観世音の湧水。近江は水の国、良質の米と水が酒造りに欠かせないといわれる。大江の水の如く涸れることのない資金を望んだ心境を詠んだ句か?
片水句集には、これとよく似た句が載っている。太陽産業が経営する大川目鉱山を視察した際に詠んだ句として、 "借金は山 財産は川の如し 汲めどもつきず大江の水" があるがこれを思い出して書いたものと思われる。
金子直吉は、ホトトギス派の俳人でもある徳子夫人のてほどきで俳句を作るようになったが、初期の俳号は「白鼠」、その後「片水」に変えている。変えた時期は、明らかではないが「片水句集」には240句ほど載っており、大正7年から昭和11年までに作られたものが残されている。