⑭深江文化村・冨永初造邸
大正モダニズムを象徴する洋館群に内外の音楽家、芸術家が暮らした芸術村
神戸・芦屋川河口西側の深江(現在の神戸市東灘区深江南1丁目)は、大正期には白浜青松の浜辺に面する風光明媚な地であった。1917年のロシア革命後、迫害を逃れて白系ロシア人の音楽家、芸術家が移り住み、彼らを慕う服部良一(音楽家)、貴志康一(バイオリン奏者)、朝比奈隆(指揮者)など日本人門下生や音楽家、小磯良平(画家)らが大正中期から昭和初期にかけて集まり13軒の洋館の邸宅を構えたことから後に「深江文化村」と呼ばれるようになった。
しかし、戦後の混乱、高度成長期、バブル期、阪神・淡路大震災を経て13軒あった洋館群は、現在ではわずかに冨永邸、古澤邸の2軒が残るのみとなった。いずれも関係者が住んでおり神戸市有形登録文化財に指定されている。
冨永邸は、大正14(1925)年竣工の米国2×4(ツーバイフォー)構法による西洋風住宅で、鈴木商店シアトル駐在員だった冨永初造が帰国後、木材部材を米国より取り寄せて建築したもので、米国人建築家・ベイリーの設計による2×4構法の原型をなすもので、近代建築史上貴重な建築物として認定されている。現在の冨永邸には、初造の長男幹太氏の夫人が住まわれており、築90年の文化財を守られている。