⑰須磨一の谷 金子直吉宅跡、太陽鉱工社宅
源平合戦一の谷の戦いの逆落としで知られる急峻な地
平安末期の治承・寿永の乱(源平合戦)・須磨一の谷の戦いで、源義経が精兵70余騎を率いて一の谷の断崖絶壁を駆け下りる奇襲「逆落とし」によって勝敗を決した古戦場として知られる。
金子直吉の住まいは、山陽電鉄本線「山陽須磨」駅から「須磨浦公園」駅に向かう中間地点のガードをくぐった直ぐ左手辺りにあったという。現在の須磨一の谷町2丁目に通じる急坂の登り口に位置した辺り。またこの住まいから脇の急坂を上った一の谷公園に隣接する場所には別荘があった。
「一の谷山荘」とも呼ばれた広大な別荘は、ホトトギス派の俳人でもあった金子の夫人・徳(俳号・せん女)の活動の拠点でもあった。高浜虚子をはじめ神戸は勿論のこと全国から著名な俳人がこの山荘を訪れたことが記されている。坂の下の住まいより大分ゆとりのある敷地だったようで、敷地内には、熊の檻が置かれていたと云われる。 ここは現在、太陽鉱工の所有となっており、低層の社宅2棟のほか駐車場が設けられている。