⑳須磨 鈴木よね邸跡
在原行平ゆかりの月見山と須磨離宮公園に隣接する高級住宅地の一角
古くからの景勝地として知られていた須磨の地が、高級住宅地として一躍注目を集めたのは第一次大戦後のことであった。関西在住の財界人、船成金が相次いで豪邸を建てたことから芦屋、御影などと並んで住宅地としても知られるようになった。
お家さん・鈴木よねが鈴木商店絶頂期に神戸栄町通から移り住んだ須磨町(現在の神戸市須磨区若木町)の邸宅は、4,000坪ほどの広大な屋敷で、周囲には平安貴族・在原行平(業平の兄)が月を眺めたことから由来する月見山、武庫離宮(現在の須磨離宮公園)や小説「華麗なる一族」のモデルと云われる岡崎財閥の邸宅(現在の須磨離宮公園植物園)等が隣接する東須磨の高台に位置している。
鈴木商店破綻後、お家さんは晩年もこの屋敷に住み昭和13(1938)年に亡くなった時には、須磨の屋敷から葬儀が出されたことが記録に残されている。現在、屋敷跡地は三菱重工業神戸造船所山畑社宅に変わっており、低層の集合住宅が11棟ほど建っているが、数棟を除いて居住していない模様。敷地の片隅には小さな社が残され地蔵が祀られている。幼くして亡くなった鈴木よねの次男・米太郎を偲んで建てられた社かも知れないが、いまだに花が手向けられ供養されているようだ。
なお、大正7(1918)年の米騒動から鈴木商店本店が暴徒により焼き打ちされた折、群衆が須磨の邸宅に向かうとの知らせを聞いて、大本組の大本百松氏が播磨造船のある相生からお家さんを守るため駆けつけたという逸話が残されている。