③高知市農人町(傍士質店)

質屋大学で学ぶ

土佐藩の番所や船着場があった場所。金子直吉が鈴木商店に入店する前、この地の傍士質店で丁稚奉公をしていた時に、質草の本で経済、政治、歴史、化学など多くの書物を読みあさり膨大な知識を身につける。質屋の主人は直吉に非凡な才能があると見抜き、後に砂糖屋へ鞍替えした際に、神戸の鈴木商店行きを勧めた。

直吉はこの質草の本で読みあさり勉強したことを「質屋大学」と呼び、ありとあらゆる書物から膨大な知識を得ていた。この知識を実戦に生かした逸話がある。それは、この傍士質店があることから裁判沙汰に巻き込まれた。相手側には北川貞彦という一流弁護士がついていたが、直吉は恐れず立ち向かい、代理人として裁判に出てしまう。結果はなんと和解と民事訴訟の2度も勝ってしまう結果となり周りを驚かせた。

  • 農人町の由来(高知市農人町)
  • 直吉が質草で熟読した孫子「武経七書」
  • 金子直吉が丁稚奉公した傍士質店があった付近の様子(高知県高知市農人町)

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