サラワク(クチン)

サラワク川から望むクチン市街と黄金のモスク

金子直吉の夢を賭けた海外事業会社「日沙商会」が拠点を置いたサラワク

ボルネオ島北西部の東マレーシアに位置するクチンは、南シナ海やサラワク川の河口に臨む河港で、古くから南シナ海航路の要地でありサラワク王国の首都として発展した。

200余年前までサラワクは、ブルネイのスルタン(君主)の支配下で、ラジャ(藩王)によって治められており、1840年クチンで発生した原住民ダヤク人の暴動を鎮圧したイギリスの探検家・ジェームズ・ブルックがラジャ(藩王)に任ぜられて、サラワクを割譲され、1841年「国王・ラジャ・ブルック」として彼自身が統治する「サラワク王国」を建国した。ブルック家三代にわたって1946年までの105年間王国を統治した。

鈴木商店直営会社「日沙商会」は、1911年に土地の租借が認められ、大規模なゴムのプランテーションを経営していた。これはプランテーションの開拓と殖産について、依岡省三とその事業を継承した依岡省輔が第三代国王ラジャ・ヴァイナリー・ブルックの信頼を得たことによる。しかし日本の敗戦により、日沙商会の資産は全て没収され、邦人は強制帰国させられた。

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