日沙商会の原点は、サラワク・ゴムプランテーション
依岡省三はサラワク王国サマラハン地方において広大な土地を租借することになったが、その細目の協定を結ぶ前に病死した。
弟省輔が省三の遺志を継いで、日沙商会の経営により租借した1,000ヘクタール以上の土地にゴム園を開拓。
さらにサラワク政府の要請を受け、米不足を解消するため日本人の移民を進め、沖縄、北海道からの移民団を入植させるも米づくりの経験者が少なく失敗に終わった。
鈴木商店の海外事業会社として日沙商会による移民と、サラワク王国産業開発に多大な成果を挙げたことは、サラワク政府に高く評価された。