②北大東島
燐鉱採掘とサトウキビ栽培により開かれた島は、開拓者精神が脈々と引き継がれている
南大東島より北方8kmの位置にある北大東島は、面積11.9k㎡、周囲13.52kmで南大東島と同じくサンゴ礁隆起により出来た。
南大東島に続き北大東島の開発に乗り出した玉置半右衛門率いる玉置商会は、製糖事業およびリン鉱石採掘事業に乗り出した。
化学肥料の原料としてその重要性が高まるリン鉱石開発については、明治43(1910)年より露天掘り採掘を開始したが、知識と技術の未熟さから失敗に終わり、明治44(1911)年開発を断念した。
製糖事業については、南大東島とは異なり小規模、畜力利用の圧縮機による製糖を進めた。
大正5(1916)年、玉置商会の事業を買収した東洋製糖は、リン鉱石採掘事業を再開し、事業を軌道に乗せた。
北大東島でのリン鉱石採掘事業は、昭和2(1927)年の鈴木商店破綻による東洋製糖の大日本製糖への吸収合併を経て昭和25(1950)年の閉山まで続けられ、北大東島を活況に導いた。
最盛期の採掘量は、年間22,068トンを記録、島の人口は4,000人まで増加した。
北大東島での島の経営は、南大東島と同じく玉置商会時代から東洋製糖を経て大日本製糖の時代まで一企業による日本で唯一の"企業植民地"の事例として捉えられる。
なお、リン鉱石採掘事業は、玉置商会に先立ち明治39(1906)年、農商務省土壌調査専門家・恒藤規隆が沖大東島(通称ラサ島)でリン鉱石を発見、明治44(1911)年、ラサ工業(株)の前身・ラサ島燐砿合資会社を設立し、自ら社長に就任してリン鉱石採掘を開始している。
昭和19(1944)年の閉山まで同島で採掘されたリン鉱石は、約160万トンに及んだ。
北大東島でリン鉱石採掘事業に乗り出した東洋製糖は、ラサ工業より採掘に係わる技術を学んで事業を推進した。