③紡績通り
紡績工場の発展を期待した市民が名づけ親
大正5(1916)年12月に佐賀紡績が設立された。工場が整備拡充されるに従い、当時の佐賀にとって最大の工場として地元民の関心を集めた。当時は人が通る程度の道があったが、道路も混雑するようになり、次第に道幅も広くなっていった。
その後、昭和11(1936)年、佐賀市街を東西に貫通する幅員15~18m、全長4kmの通称〝貫通道路〟が作られ、工場前の通りと連結されると、次第に市民が紡績工場の隆盛を期待し、工場前の通りを 愛称として〝紡績通り〟と呼ぶようになり、今日まで引き継がれてきたものである。
佐賀市街を南北に通じる幹線道路である現在の国道264号のうち、長崎本線高架下付近からどんどんどんの森東側を通り、辻の堂交差点に至るまでの約1.5kmの区間に「紡績通り」としてかつての名が残されている。