⑤求友亭

地域密着型企業を目指した鈴木商店

鈴木商店は、新興企業かつ県外企業であったことから地元からは警戒心が強く、鈴木商店の地元を意識した対応が清水市史から読み取ることができる。

『鈴木製油所の操業は、大正6(1917)年1月30日である。6月1日には、住民とのふれあいを強めるため、慰安運動会を開催。午前6時半から辻村海岸グランド(現・清水駅付近)は満員。午後からは、仮装行列・陸軍戸山学校軍楽隊・浪花節、義太夫・手踊り・奇術・大神楽があり、模擬店にはうどん・そば・すし・ビール・サイダーの接待があった。これら費用は鈴木商店が負担した。』

『工場落成の招宴は、6月18日に静岡市内の求友亭で、静岡新聞社主筆と東京各新聞社の支局長やその他の新聞関係者を招待し盛大に開かれた。翌19日は静岡県の主な実業家、21日は県会議員全員、22日は知事をはじめ各官庁官吏、23日は市町村公吏を招待し、披露会を開催した。』

『求友亭にて静岡民友新聞社山崎二水が鈴木商店に対して祝辞を述べた。「鈴木商店は神戸の鈴木に非ずして、関西の鈴木商店の名を博せしが、今や更に進んで関東政略の途に上り、・・駿河湾頭の代表的工業地帯を形成せり・・・横浜に入り、東部を中心として仙台に上り米沢に侵入し、関東関西に羽翼を張る。・・台湾を枕とし南洋に臨み、支那揚子江の沿岸には数多の工場を建築し、長江一帯に一異彩を放つ。是に至って鈴木商店は日本の鈴木に非ずして、南洋将又東洋の鈴木商店たり、否世界の鈴木商店たるの盛名を馳するに至れり。此の新進気鋭の鈴木商店が我が静岡県に一大工場を建設せしは、我が県の為に幾何の富力を増進するや測るかざるものもあり。・・・一大工場の落成を見るは、鈴木商店の為に祝辞を述ぶのみならず、我県のために祝賀せざる可からざる事に属す』

  • 求友亭
  • 昭和元(1926)年の豊年製油(工場左奥が辻村海岸グランド)

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