⑤宜蘭と鈴木商店

 

鈴木商店と宜蘭との縁は深い。明治34(1901)年に2代目岩治郎が宜蘭で官営製脳を請け負い、その後、小松楠彌や波江野吉太郎ら鈴木商店ゆかりの事業家が合流し、宜蘭山麓で大規模な製脳事業を行った。明治36(1903)年には小松、波江野が中心となって台湾製脳合名会社を設立している。

地元資本による製糖工場を買収し、大正4(1915)年に設立されたのが宜蘭殖産である。当初は鈴木商店直営の計画であったが、方針を改め、前出の小松、波江野に、鈴木商店から金子直吉、辻湊、平高寅太郎、後藤組からは川合良男が加わって共同出資会社となった。製糖のほか、電灯、軽便鉄道、製氷、林業、土地開発に従事したが、やがて製糖部門を台南製糖に売却すると、これを契機に波江野は同社の取締役に就任し、以後台南製糖の製品販売は鈴木商店が扱うこととなった。

宜蘭県三星郷にある「蘭陽発電廠」は、もともと明治42(1909)年設立の宜蘭電気が建設したものである。大正2(1913)年に送電開始、同時に近隣の村々に豊かな灌漑用水を供給した。社長に小松、取締役に波江野、辻ら鈴木商店関係者が就任している。発電所内の発電機は東芝製でいまなお現役で活躍して、宜蘭の人々に電力を供給し、田畑を潤している。

宜蘭庁長を務めた小松吉久は大正9(1920)年退官後、鈴木商店系列の日本拓殖取締役、台湾炭業社長、朝日製糖社長に就任した。鈴木商店が台湾の地方行政に深く関与していたことをうかがわせる事例である。当時の宜蘭庁長公邸が、現在宜蘭設治紀念館として一般公開されている。

  • 宜蘭殖産株式会社
  • 蘭陽発電所(全景)
  • 宜蘭設治紀念館

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