④高雄と鈴木商店
大正9(1920)年、それまでの地名「打狗」に「高雄」の字があてられる。高雄港は基隆港に次ぐ台湾第二の港湾である。台湾南部には大製糖会社が集中することから、台湾粗糖は主にこの港から積み出された。
鈴木商店はこの地に出張所を置いたほか、関係会社として高雄拓殖を設立している。また、大正7(1918)年には、地元の富豪陳中和より一万坪を借地し、神戸製鋼所の分工場として造船所を建設する計画を進めていたが実現をみなかった。陳中和一族の経営する新興製糖には、東洋製糖から石川昌次が経営に入っており、製品の販売は鈴木商店が担った。新興製糖は台湾炭業設立においても出資者となっている。