③基隆と鈴木商店
内地からの玄関口基隆港は、領台の明治28(1895)年でも台湾第一の良港とされたが、港内が狭く、水深も浅かったため、当初は1000t級以上の船は接岸できなかった。それに年間を通じて天候は不順であり、荷役作業は困難を極めた。後藤新平の建議で始まった築港事業により、明治36(1903)年には第一期工事が完了し、3000t級の船が接岸できるようになった。
後藤新平の勧めで、金子直吉は基隆に精糖工場を建設する計画を立てたことがあったが、議会の理解が得られず頓挫。このことが大里製糖所設立へとつながって、鈴木商店の砂糖事業を大きく成長させてゆくことになる。基隆には出張所がおかれ、台北支店が管轄した。