⑧日本樟脳・台北工場

鈴木商店の樟脳事業の展開に呼応して台湾に進出

台湾総督府第3代民政長官・後藤新平の時代に台湾の樟脳油の専売権を得て、樟脳事業に進出した鈴木商店は、神戸周辺に直営樟脳製造所を次々に建設、大正期に入り鈴木と同業樟脳メーカー6社との大合同による日本樟脳(現・日本精化)の設立に深く関わった。(大正7(1918)2月)

大正7(1918)5月、日本樟脳は台湾での直接事業展開に乗り出し、台北支店および台北工場を開設した。工場は、台北市樺山町80番地(現在の華山1914文創園区:台北市人徳路一段一号)の日本芳醸(株)(酒造工場)の一部を同社より無償提供を受けて操業開始。日本芳醸の工場は、その後総督府の酒の専売制実施により接収され、総督府専売局台北酒工廠と変わったが、日本樟脳台北工場は操業を継続した。                                  

終戦後、日本樟脳台北工場は、国民政府に接収され台湾省専売局の所有となったが、1957年に操業停止し、建物は菸酒(タバコ・酒)公売局・台北酒廠倉庫として使われた。

また、旧日本芳醸の工場は、戦後、台湾省菸酒公売局台北第一酒廠として使われたが、現在は、旧日本樟脳の工場と併せ「華山1914文創園区」という"アートイベント空間"として利用されている。

◎企業特集>樟脳

  • 日本樟脳・台北工場(中央の低いレンガ造りの煙突部分)
  • 日本芳醸(右)、日本樟脳(左)
  • 華山1914文創園区(旧・日本樟脳台北工場)

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