⑦台湾鉄道ホテル

台北の近代化を象徴する西洋式高級ホテル

明治41(1908)10月、大倉組(現・大成建設)の施工により完成した台湾鉄道ホテルは、西洋式高級ホテルとして台北駅前通り(表町通り、現在の忠孝西路一段)に華々しく開業した。

同ホテルは、台湾総督府鉄道部の経営で、3階建て、客室数30,プール、テニスコートを備え、公共スペースは禁煙を徹底した格調高いホテルで、食器、備品等は全てイギリスから調達したと云われた。                                   

鉄道ホテル開業に当たり後藤新平は、内地で「みかどホテル」を経営している旧知の後藤勝造を推挙し、鉄道部は鉄道ホテルの経営と台湾縦貫鉄道(基隆~高雄間)の列車食堂経営を委託した。列車食堂については、予てより運営している自由亭列車食堂の実績を評価された結果と云われる。

鉄道部は、その後昭和9(1934)年に台南駅に、昭和12(1937)年に高雄駅にそれぞれ鉄道ホテルを開業、いずれも「みかどホテル」に経営が委託された。「台湾鉄道ホテル」は「台北鉄道ホテル」に改称された。「台北鉄道ホテル」と「台南鉄道ホテル」の経営は、昭和19(1944)4月から東亜交通公社(後の日本交通公社)に委託されたが、昭和20(1945)年の米軍による大空襲により、焼失した。この間、みかどホテルは大正5(1916)年、鈴木商店に売却され、後藤回漕店はホテル事業から撤退した。

かつて台北鉄道ホテルが在った場所には、現在台北ランドマークの一つで51階建ての「新光摩天楼大楼」が建ち、地元新光グループと三越百貨店の合弁「新光三越」が1階~13階に店舗を構えている。

 

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