②台湾総督府(現・中華民国総統府)
台湾における最高統治機関として設置された行政庁舎.
台湾総督府(旧字体:臺灣總督府)は、日清戦争の結果清国から割譲された台湾を統治するために設置された。明治28(1895)年 の馬関条約(下関条約)締結から昭和20(1945)年の日本降伏まで50年間台湾を統治した。
初代総督は海軍大将・樺山資紀で当初は陸海軍の将官が総督を務めた。第4代総督児玉源太郎の下で明治31(1898))年に第3代総務長官(初代民政長官)に就任した後藤新平は、土地改革を行いつつ、電気水道供給施設・交通・情報施設などを整備、アヘン中毒患者の撲滅、学校教育の普及、製糖業などの産業を育成することにより台湾の近代化を推進し、一方で統治に対する叛逆者には取り締まりをするという"硬軟"の両政策を有効に用いることで統治体制を確立した。
台湾の統治方式が抗日運動の鎮圧から経済の構築による社会の安定に転換したことにより、第8代から第16代総督の時代には文官総督が就任した。逓信次官より第6代総務長官(旧・民政長官)に就任した内田嘉吉は、後に第9代総督に就任したが、文官として総督、総務長官の両ポストを歴任しており、後藤民政長官時代に続いて鈴木商店の台湾での経済活動を側面から支えた一人であった。
第二次大戦後、日本の敗戦により台湾総督府は解体され、総督府本庁舎は、中華民国の総統府として現在も使用されている。 なお、台湾総督府庁舎は、建築家・辰野金吾の弟子の長野宇平治の基本設計を基に修正が加えられ、大正8(1919)年に完成した。赤レンガ造りのユニークな建物で、台湾初のエレベータが設置され、防火のため館内は禁煙とし、喫煙室を別に設ける等当時としては画期的な試みがなされた。