⑦国立西洋美術館

松方コレクションを受け入れるために建設された国立西洋美術館

松方コレクションとは、川崎造船の初代社長であった松方幸次郎が、第一次世界大戦中にロンドンに渡り、鈴木商店の一室を借り、船舶を大量に売り捌き、その一部の資金でゴッホ、ルノアール、モネ、そして江戸時代に西洋に流れた浮世絵などの美術品を収集したものである。

松方は収集したこれらのコレクションを収める美術館の設計をF・ブラングウィンに依頼し、「共楽美術館」と名付けニューヨークで発行された美術雑誌にも公表されたが、川崎造船の業績悪化により計画は断念され幻の美術館となった。

高畑誠一の「私の履歴書」には、松方コレクションへの協力に関して、「松方さんがロンドンに来られて間もない大正5(1916)年の春のことだと思う。私たちのオフィスに入っていたビルの地下で昼食をとったあと、たまたま食堂の並びの部屋でオークションをやっていたので、松方さんと二人でのぞいてみた。松方さんは造船所の風景を描いた一枚の絵が気に入ってその場で2、30ポンドを払って買われた。松方さんはほんの数点の絵を部屋に飾って鑑賞しているうちに、絵に病みつきになられたらしい。私も松方さんのお供をして、美術商を訪ねたり、ロンドン郊外の貴族の豪邸に行ったこともある。美術品の買入に必要な金が足りなくなることがよくあり、鈴木商店のロンドン支店で、お金の方は何回か用立てていた。特に、有名なヘンリ・ベベルという宝石商の浮世絵のコレクションを譲り受ける時は、資金調達に急を要したので、私が60万ポンドの逆為替を組んで融通したこともある」と語っている。

松方コレクションは、川崎造船の破たん後に、銀行担保になり、一部は散逸した。またパリに保管されたコレクションは、戦後フランス政府に接収された。吉田茂内閣の時に、返還交渉が行われ、その受入のために建設されたのが国立西洋美術館である。

  • 国立西洋美術館
  • 松方幸次郎のポートレート(F・ブラングウィン画)
  • F・ブラングウィンに設計依頼した幻の「共楽美術館」

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