⑫東京毛織・王子工場
本邦毛織事業の先駆者たる東京製絨会社
東京毛織・王子工場の前身は、明治19(1886)年に東京府南葛飾郡寺島村に牛毛織物所として創業した「山川組」に遡る。山川組は、明治20(1887)年株式会社化し、「山川組」から「(有)東京毛糸紡織」に商号変更、資本金30万円、本社を北豊島郡王子村に移転し、本格的に操業を開始する。
明治23(1890)年7月時点の業容は、資本金100万円、工場敷地13,300余坪、工場および附属建物5,000余坪、男女職工1,200人、年間の生産額250余万円と毛織物工場としては東洋一の規模を誇った。
生産品目は、羅紗、ヘル、セル、メルトン、フランネル、ブランケット、抄紙用フェルト等毛織物一切のほか毛糸、トップ等にまで広がり、工場は王子工場のほか、品川工場(荏原郡大井村)を有した同社は、我国民間製絨業の嚆矢と呼ばれた。
明治26(1893)年6月、社名を「東京製絨(株)」と改称。製品は、一般市販向けのほか各官庁、海軍向けにも納品が本格化した。
「東京毛織」に合併統合される直前の大正6(1917)年2月、東京製絨は創立30年を迎え、記念誌を発行。この記念誌の中で、当時の社長・大倉喜八郎(男爵)は、製絨会社3社(東京毛織物、東洋毛織、東京製絨)の合同に至る経緯を説明し、金子(直吉)(東洋毛織)、日比谷平左衛門、諸井(恒平)(いずれも東京毛織物)のほか、渋沢(栄一)(子爵、東京毛織物相談役)、福永(男爵)等の名を挙げて関係者の尽力に謝意を表している。
後年、東京製絨・品川工場は「東京毛織」誕生により、旧・後藤毛織(大井工場)に集約され、東京毛織・大井工場として再出発した。