⑬東京無線電機
優れた生産技術に折り紙がつけられた通信機メーカー
東京無線電機は、大正11(1922)年10月21日神戸製鋼所の子会社として資本金100万円をもって設立された。(所在地:東京府荏原郡蒲田町大字蒲田新宿(現在の大田区蒲田))拡声器メーカーとして知られ、第二次世界大戦前には、国民型ラジオ受信機メーカーの一社でもあった。戦時中は、陸海軍の軍需工場として従業員5,000人、勤労奉仕員2,000人の規模で操業し、数度の増資を行い、昭和20(1945)年には資本金3,500万円にまで発展したが、戦後の不況により経営不振に陥った。
戦後企業再建整備法に基づき、昭和24(1949)年新生「東京無線電機」として再出発し、オーディオ機器メーカーとして復活した。しかし、その後の労働争議等により再び経営不振となり、会社は身売りに出され、昭和33(1958)年桂川電機に買収されるところとなり、「三桂製作所」の新社名で新たな歴史を刻むことになった。
東京無線電機を買収した当時の渡邉禮之社長(三桂製作所および桂川電機創業者)は、かねてより鈴木商店の金子直吉を優れた先見性を持つ創造的な経営者として評価し尊敬しており、金子の意思を継ぐ決意から買収を決断したと言われる。