⑧上杉家廟所

上杉謙信をはじめ上杉家代々の当主が眠る史跡

上杉謙信を初代とする上杉家歴代当主の墓所。謙信霊廟を中央にその左右に歴代12代までの当主(米沢藩主)の墓所が整然と立ち並んでいる。昭和59(1984)年、「米沢藩主上杉家墓所」として国の重要史跡に指定された。

謙信の後継・景勝(上杉家 2代目当主)が米沢藩初代藩主となると謙信の霊柩は米沢城内の御堂に納められた。また、米沢城に一大事があった場合に備え、一時的に謙信の霊柩を守るための避難所が建てられた。

景勝の没後、米沢藩歴代の藩主が同所に埋葬されるようになり、上杉家代々の廟所として祀られて来た。明治6(1873)年、米沢城が解体されたため、謙信の霊柩は、明治9(1876)年廟所に移され、上杉家歴代当主の廟所として改修された。

 戦国武将の中でも聖将として名高い上杉謙信は、上杉家の精神的支えとして代々当主(藩主)により祀られてきた。謙信の遺骸は甲冑を身にまとった姿で甕に納められ、甕には漆を流し込んで固めてあると伝えられる。

歴代当主の廟屋は、時代により建築様式が異なっており、景勝から7代までは入母屋造り、8代以降は宝形造りで並べられており、それぞれの廟には灯篭が備えられている。廟の入り口には、真言密教に帰依した謙信ゆかりの「毘」と「龍」の旗印が左右に立てられ、廟内には樹齢400年を越す数多くの杉の大木が植えられて一層荘厳な空気が流れる。

米沢藩中興の祖として知られる上杉鷹山の廟屋は、第10代当主(米沢藩主としては第9代)「治憲公」として安置されている。上杉家と米沢の歴史に触れる貴重な史跡である。

関連資料

  • 歴代上杉家当主の廟が並ぶ
  • 上杉謙信の廟
  • 謙信由来の「毘」と「龍」の旗印

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