④招僊閣
金子直吉を料亭に招待
招僊閣は、鈴木商店の金子直吉を招いて、地元財界が人絹の量産工場の誘致を申し入れた場所である。同料亭は、松岬神社内に奉幣使旅館、例祭来賓接待所として神社財団松岬会が建てたと記されている。(「上杉神社」再建誌)
米沢城跡には、明治後年には数多くの料亭が立ち並んでいた。しかし大正8(1919)年の大火により多くが 焼失。本丸の大部分が、上杉神社の境内となったため、料亭などの建築が出来なくなり、招僊閣は本丸から二の丸に移転し再建された。移転場所は、現在の松岬公園北側駐車場辺りとされる。
その後、招僊閣は閉館されると地元の医師が、招僊閣の一部分(離れ座敷部分)を買い取り移築して、居宅として利用されていた。平成23(2011)年、地元地域ケアセンター「東陽館」を運営する企業 により福祉施設に転用され、現在地の丸の内に「愛のまち・招僊閣(招仙閣)」の名称でデイサービス事業が開始された。