鳥羽造船所・造船資料
鈴木商店は、大正7(1918)年に浪華造船所を播磨造船所と合併させ、続いて播磨造船所、鳥羽造船所を帝国汽船と合併させた。両造船所は、それぞれ帝国汽船播磨造船工場、鳥羽造船工場と改称した。
さらに大正10(1921)年、帝国汽船・造船部を神戸製鋼所に合併させ、神鋼・造船部として播磨・鳥羽両造船所が移管された。
鳥羽造船所は、開業以来1,000~2,000トンクラスの中小型船舶を建造してきた。鳥羽造船所の造船資料には、建造を発注した注文主として鈴木商店、帝国汽船の名が残っている。また、船名には「相島(おじま)丸」("相島"は現在の"ミキモト真珠島")など 鳥羽周辺の地名が付けられている。
また、鳥羽造船所では、北洋トロール船の建造も行っており、鈴木商店系列の「樺太漁業」の第三鶚丸(みさごまる)~第八鶚丸を建造した。因みに第一、第二鶚丸は、播磨造船所にて建造された。