金属・金属製品

関門海峡で育った非鉄金属事業、鈴木商店鉄材部の親睦会から誕生した日本発条 

鈴木商店の金属事業のうち製鉄以外の非鉄金属事業に日本冶金と日本金属がある。いずれも金子直吉の国益志向と「国家がやるべきことを鈴木がやる」という自負心から興した事業である。また破たん後には、旧鈴木商店鉄材部の親睦会から、ばね事業の具体化が進められ、日本発条が設立された。

<非鉄事業>
◆日本冶金(現・東邦金属)
 設立      大正7(1918)年
 所在地(工場) 北九州・大里、京都

日本冶金は、金子の国益志向の経営理念から生まれた極めてユニークな企業と言える。明治・大正期の電球普及時代に電球用フィラメントが全て米GEの特許に押さえられている実情を打開すべく、金子は、大正7(1918)年日本冶金を設立し、米インディペンデント社の協力を得て、我が国初の電球用フィラメントの国産化を実現した。

さらに粉末冶金によるタングステン・モリブデンの一貫製造も開始したが、昭和24(1949)年同社は解散し、翌昭和25(1950)年、日本冶金の関係者により事業継続することとなり、東邦金属としてタングステン・モリブデンの専業メーカーとして再出発した。

◆日本金属(三井金属を経て現・彦島製錬,昭和鉱業・三井鉱山をへてパンパシフィック・カッパー日比製錬所)
 設立      大正5(1916)年
 所在地(工場) 下関・彦島、岡山・玉野市日比

鈴木商店は大正4(1915)年、帝政ロシア政府向けに受注した砲弾500万発の製作のため銅・亜鉛・鉛・錫等の精錬が必要となり同年、岡山県日比の銅製錬所を買収、さらに亜鉛・アンチモン・鉛・銅の精錬のため下関・彦島に直営製錬所を建設、翌大正5(1916)年、これらを発展させ日本金属を設立し日比製錬所、彦島製錬所として稼働して本格的に非鉄金属製錬事業に乗り出した。

彦島製錬所は10数棟から成る工場建屋のほか、工員宿舎、工員食堂を備えた堂々たる工場設備を有し、日本冶金とともに鈴木商店の非鉄金属事業の中核を成していた。
一方、日比製錬所には浅田長平(後の神戸製鋼所社長)を主任に抜擢して派遣した。

鈴木破綻後、日本金属(彦島製錬所)は昭和3(1928)年三井鉱山に吸収合併され、三井鉱山・三池製錬所彦島工場として再スタートした。昭和27(1952)年、三井鉱山は、三井金属鉱業と改称、同工場は、三井金属・彦島製錬所となる。さらに昭和61(1986)年、亜鉛事業を分離し、彦島製錬を設立する。

日本金属・日比製錬所は昭和11(1936)年、昭和鉱業の経営となった後、昭和18(1943)年三井鉱山が昭和鉱業を買収、その後日比共同製錬・玉野製錬所を経て平成18(2006)年、パンパシフィック・カッパー(株)日比製錬所に商号変更し、今日に至っている。大正4(1915)年に建設され、今なお残る銅製錬の溶鉱炉跡、大煙突には往時の記憶が思い起こされる。

<金属製品・ばね事業>
◆ニッパツ(日本発条)
 設立   昭和14(1939)年
 所在地  横浜市

日本発条(以下ニッパツ)は、昭和6(1931)年創業の芝浦スプリング製作所が前身である。昭和2(1927)年の鈴木商店破綻後、鈴木の整理業務に携わった坂本寿の呼びかけで同じ鈴木・鉄材部に籍を置いていた楓英吉(日商)、井上清(井上商店)の3人が中心となり自動車用ばねの製造を計画し、昭和14(1939)年芝浦スプリング製作所を買収してニッパツとしてスタートを切った。

創業の地・東京芝浦より横浜磯子に本社工場を移したニッパツは、業界後発ながら戦後の急成長により世界一のばね専門メーカーに発展した。

現在のニッパツは、横浜市金沢区福浦に本社・横浜工場を構え、自動車用懸架ばね、シート、精密ばねなどの「自動車関連事業」、HDD用サスペンション、精密部品などの「情報通信事業」、産業機器や生活関連製品等の「産業・生活関連事業」の分野で“なくてはならないキーパーツ”を世に送り出している。

関連リンク

  • 東邦金属のタングステン・モリブデン
  • 日本金属・彦島製錬所~西山湾内より工場を望む
  • 日本金属・彦島製錬所~舞子島から工場を望む
  • 芝浦スプリング
  • 芝浦スプリングの工場内

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