紡績

多彩な展開を繰り広げた紡績事業

◆東京毛織(合同毛織を経て現・三菱レイヨン、クラシエホールディン
 グス)
 設立   明治39(1906)年
 所在地  東京

東京毛織は、鈴木商店の紡績事業の中核として運営されてきたが、鈴木破綻により昭和2(1927)年、全国第二位のモスリン会社であった毛斯綸紡績と合併し、合同毛織が設立された。

しかし、合同毛織は、昭和4(1929)年倒産してしまい、その再建会社として毛織工業が昭和11(1936)年設立され、鐘淵紡績が経営を受託するところとなり、昭和16(1941)年同社が買収合併した。鐘淵紡績は、その後鐘紡、カネボウと商号変更し、さらにカネボウ化粧品とクラシエホールディングに分割され今日に至っている。

また、合同毛織倒産後、その一部が昭和5(1930)年新興毛織として設立され、さらに昭和8(1933)年新興人絹となり、昭和25(1950)年新光レイヨン、昭和27(1952)年三菱レイヨンと改称し今日に至っている。

なお、鈴木商店の経理担当として、鈴木末期の財務に心血を注ぎ、鈴木破綻後の整理業務では金子直吉と終始行動を共にした賀集益蔵(かじゅうえきぞう)は、鈴木整理後、新興人絹常務に就任、専務を経て三菱レイヨン社長、会長を歴任した外、三菱グループ各社の役員、経団連常任理事を務めたことは、特筆すべき事柄である。

◆佐賀紡績(現・ダイワボウホールディングス)
 設立   大正5(1916)年
 所在地  佐賀 

独特の織り方で知られる「佐賀錦」を生んだ佐賀の地に大正5(1916)年地元の有志が鈴木商店に参画を呼びかけ設立。大正9(1920)年当時には、2,000人の工員を擁する佐賀最大規模の工場に発展した。工場が拡張されるにつれ、佐賀市街を東西に貫通する道路が作られると地元の人々から紡績工場の隆盛を期待され“紡績通り”(現国道264号)と長く愛称されるようになった。

鈴木破綻により昭和3(1928)年、錦華紡績に買収された後、昭和16(1941)年錦華紡績ほか3社(日出紡績、出雲紡績、和歌山紡績)が合併して大和紡績が誕生し、旧佐賀紡績は、大和紡績・佐賀工場となった。大和紡績は、戦後の繊維業界の再編の波を受け、佐賀工場の規模を縮小したが、ついに昭和61(1986)年佐賀工場を閉鎖し70年の歴史を閉じた。工場跡地は、長い間、大和紡績跡地と呼ばれていたが、平成7(1995)年“どんどんどんの森”と名称が変わり、公園として親しまれている。なお、平成21(2009)年大和紡績は、ダイワボウホールディングスに商号変更した。

◆三国紡績(天満織物を経て現・シキボウ)
 設立   大正8(1919)年
 所在地  大阪 

◆天満織物(朝日紡績、福島紡績を経て現・シキボウ)
 買収   大正13(1924)年
 所在地  大阪   

明治の実業家で第三十四国立銀行創立に関わり頭取を務めた岡橋治助が明治20(1887)年に設立した京都錦糸織物(明治23(1890)年天満織物に改称)を鈴木商店は、大正8(1919)に設立した三国紡績と合併し関係強化した。

鈴木との関係が密接となった天満織物は、鈴木破綻後、昭和16(1941)年近江帆布と合併し朝日紡績となったが、昭和19(1944)年福島紡績との戦時統合により敷島紡績となった。平成14(2002)年シキボウに社名変更した。

関連リンク

  • 鐘淵紡績
  • 大和紡績・佐賀工場(旧佐賀紡績)

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