保険

保険嫌いの金子直吉が一転、保険事業に参入

金子直吉が同郷で専売局長をしていた浜口雄幸より資金調達の方法として保険会社に集まる資金があることを説かれ、保険事業に乗り出すきっかけとなった。後日、鈴木商店焼き打ち事件後、ロンドンより帰国の挨拶に訪れた高畑誠一に“・・・今後は日本教育生命と大正生命を鈴木系の持ち株会社にし、全関係会社を間接的に経営しようと思っている・・・”と保険会社の機能を認めていた。

◆日本教育生命保険(大正生命を経て現・プルデンシャル・ジブラルタ
 ファイナンシャル生命保険)
 出資時期  明治33(1900)年
 所在地   東京 

◆大正生命保険(現・プルデンシャル・ジブラルタファイナンシャル
 生命保険)
 設立   大正2(1913)年
 所在地  東京

明治29(1896)年に設立された日本教育保険は、明治33(1900)年鈴木商店が出資し、日本教育生命保険と改称。代表取締役社長には、伯爵・柳原義光が就任し、大正生命保険と共に鈴木商店の保険事業の中核を成した。昭和23(1948)年解散し、同じ旧鈴木系の大正生命保険に包括移転された。

大正生命保険は、大正2(1913)年鈴木商店により設立され、伯爵・柳原義光が初代社長に就任、専務取締役に岡烈(後に金光庸夫(かねみつつねお))が就任した。

同社は、昭和23(1948)年日本教育生命保険を吸収合併したが、平成12(2000)年経営破綻し、平成13(2001)年既契約をあざみ生命保険に包括移転した後、平成14(2002)年大和生命保険と合併して大和生命保険となった。

大和生命保険は、平成20(2008)年会社更生法適用申請、平成21(2009)年プルデンシャル・ファイナンシャルジャパン生命保険と経営が変わり、平成22(2010)年には、プルデンシャル・ジブラルタファイナンシャル生命保険に商号変更し今日に至っている。

◆新日本火災海上(大正海上火災を経て現・三井住友海上火災保険)
 設立   大正9(1920)年
 所在地  東京

大正9(1920)年設立の新日本火災海上は、伯爵・柳原義光が代表取締役社長を務めたが鈴木商店破綻後、昭和16(1941)年三井系の大正海上火災保険に吸収合併される。

昭和19(1944)年三井火災海上保険を吸収合併した大正海上火災は、平成3(1991)年三井海上火災保険に商号変更、平成13(2001)年住友海上火災保険と合併し、三井住友海上火災保険に再度商号変更し今日に至っている。

◆東洋海上火災保険(現・東京海上ホールディングス)
 出資時期  明治43(1910)年
 所在地   東京

明治41(1908)年帝国帆船海上保険として設立され、明治43(1910)年東洋海上保険と改称した後、大正14(1925)年東洋海上火災保険に再度改称。

昭和18(1943)年東洋海上火災保険は、豊国火災保険、福寿火災保険の両社と合併し、日新火災海上保険に改称した。

平成18(2006)年ミレアホールディングス(現・東京海上ホールディングス)との経営統合により完全子会社化された。これにより株式上場は廃止された。

関連リンク

  • 旧・大正生命ビル(現・オペラ・ド・メーヌ高麗橋)
  • 柳原義光
  • 金光庸夫

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