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金子直吉の国益志向は多彩な事業展開に発展 

金子直吉の生産こそ最も尊い経済活動と信じた多角化は、国益志向の経営理念から発展して工業のみならず金融、サービス分野にまで及んでいる。

◆東京無線電機(現・帝国通信工業、三桂製作所)
 設立   大正11(1922)年
 所在地  東京
東京無線電機は、大正11(1922)年10月21日神戸製鋼所の子会社として資本金100万円をもって設立された。創業時の役員は、社長に伊藤乙次郎、専務取締役に辻湊、監査役に小野八十一、岩野直英が就任した。拡声器メーカーとして知られ、第二次世界大戦前には、国民型ラジオ受信機メーカーの一社でもあった。戦時中は、陸海軍の軍需工場として従業員5,000人、勤労奉仕員2,000人の規模で操業し、数度の増資を行い、昭和20(1945)年には資本金3,500万円にまで発展したが、戦後の不況により経営不振に陥った。

同社は、これより以前、昭和19(1944)年東京芝浦電機、日本電気、日本無線他と共同出資により帝国通信工業(現在「NOBLE」ブランドの電子部品メーカーとして、可変抵抗器、半固定抵抗器、固定抵抗器、センサー、スイッチ等の製造を行っている。)を設立しており、事業の多くを新会社に移管した。 

いったんは帝国通信工業に事業を移行した東京無線電機は、戦後企業再建整備法に基づき、昭和24(1949)年新生「東京無線電機」として再出発し、オーディオ機器メーカーとして復活した。

しかし、その後の労働争議等により再び経営不振となり、会社は身売りに出され、昭和33(1958)年桂川電機に買収されるところとなり、「三桂製作所」の新社名で新たな歴史を刻むことになった。

同社は、各種電線保護管の製造・販売を主業とし、取り分け金属性可撓(かとう)電線管は工作機械やプラント工事に欠かせない製品として高い評価を得ている。     

東京無線電機を買収した当時の渡邉禮之社長(三桂製作所および桂川電機創業者)は、かねてより鈴木商店の金子直吉を優れた先見性を持つ創造的な経営者として評価し尊敬しており、金子の意思を継ぐ決意から買収を決断したと言われる。(渡邉禮之自叙伝「へそ曲り経営II 」平成2年5月5日発行)

◆浪華倉庫(現・澁澤倉庫)
 設立   大正6(1917)年
 所在地  大阪

浪華倉庫は、大正6(1917)年安田銀行の倉庫部「安田倉庫」を鈴木商店が買収し、改組して設立したもの。その後大阪辰巳屋藤田助七も出資し、両辰巳屋の事業として運営され、社長に藤田助七が就任した。大阪のほかに下関、横浜、小樽に3支店を開設して運営した。浪華倉庫は、倉庫部門のほかに土地部を新設して、鈴木商店が全国に保有していた土地建物の管理業務を併せて行っていた。

鈴木破綻後、昭和8(1933)年澁澤倉庫に吸収合併され今日に至っている。近年、観光で賑わう北海道・小樽の運河倉庫の一角に残る旧・澁澤倉庫は、浪華倉庫・小樽支店を引き継いだ建物である。(澁澤倉庫80年)   

◆六十五銀行(神戸岡崎銀行を経て現・三井住友銀行)
 出資   明治31(1898)年  
 所在地  神戸

六十五銀行は、明治11(1878)年鳥取に設立された第六十五国立銀行が前身で、明治31(1898)年私立銀行として営業継続し、本店を兵庫に移転し、鈴木商店系列となった。頭取に藤田助七が就任。

鈴木破綻後、昭和3(1928)年神戸岡崎銀行に吸収された後、昭和11(1936)年神戸岡崎銀行は、五十六銀行他5行と大合同して神戸銀行が誕生した。

昭和48(1973)年神戸銀行と太陽銀行が合併して太陽神戸銀行となり、さらに平成2(1990)年同行は、三井銀行と合併して太陽神戸三井銀行となった。

平成4(1992)年さくら銀行に改称、平成13(2001)年住友銀行と合併して三井住友銀行に再度改称し、今日に至っている。

◆日本トロール(共同漁業を経て現・日本水産)
 設立   大正10(1921)年
 所在地   東京 

日本トロールは、遠洋トロール漁を目的に大正10(1921)年下関に設立され、鈴木破綻後の昭和2(1927)年日正水産と合併。その後、田村汽船漁業部から発展した共同漁業に吸収合併される。共同漁業は昭和12(1937)年日本水産と改称した。

◆大陸木材工業(日露木材を経て現・王子木材緑化)
 設立 大正11(1922)年
 所在地 神戸

大陸木材工業は、ロシア沿海州産木材(極東林業トラスト「ダルレス」材)の輸入を目的に資本金150万円をもって神戸に設立された。また同木材の加工基地として朝鮮咸鏡北道清津(チョンジン)に工場を設けた。

設立時の役員は、社長に青木一葉、専務に西岡勢七、常務金子曜高、取締役松永祐三、監査役に永井幸太郎が就任した。鈴木破綻後は、王子製紙と提携し共同出資して、「日露木材」を設立し商権を継承して王子製紙系として再出発した。

その後、王子系企業数社との合併をへて、平成10(1998)年王子木材工業に商号変更。さらに平成15(2003)年王子木材緑化と合併し、社名を王子木材緑化に変更。

◆南朝鮮製紙
 設立   大正11(1922)年 
 所在地  朝鮮・慶尚南道亀浦(現在の韓国釜山広域市)

鈴木商店は大正3(1914)年、慶尚南道東萊郡亀浦面亀浦里81に「朝鮮繊維工業所」設立。釜山付近洛東江沿岸一帯に繁茂する芦草からパルプ原料の製造を目的としてスタート。技術改良の目途が立ち、同工業所を廃止、新たに大正11(1922)年に「南朝鮮製紙」を資本金100万円にて設立。芦草から曹達パルプを作り、高級印刷紙を製造して三菱製紙、小倉製紙等へ売り込みを図ろうとした。

設立時の役員には、社長に青木一葉、常務吉岡豊、取締役小川徳長、沢村亮一、監査役椋野武吉が就任した。

従来、英国など高級輸入パルプに独占されていた洋紙市場に乗り出す計画で、“芦草パルプ前途有望”と報じられた。(大正12(1923)年7月28日 神戸新聞)然しながら事業化半ばで、鈴木商店の破綻に遭遇したため同計画は中止に追い込まれた。


関連リンク

  • 東京無線電機トム4号無線
  • 三桂製作所本社(東京無線電機が前身)
  • 浪華倉庫・小樽支店(現・小樽運河食堂)
  • 堂島川・田蓑橋南詰の浪華倉庫(現・ダイビル本館)(大正12(1923)年頃)
  • 第六十五銀行(大正11(1922)年当時)

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