日本油脂(現・日油)の歴史⑦

スタンダード油脂が日本グリセリン工業を合併し、「合同油脂グリセリン」が発足

大正11(1922)年10月、スタンダード油脂は鈴木商店が経営する主要な油脂工場(兵庫工場、王子工場、保土ヶ谷工場、本郷工場)を統合・資本集中し規模を拡大するとともに洗濯石鹸の製造にも進出し業界に確固たる地位を築いたが、一方では第一次世界大戦終結に伴い硬化油の輸出は一朝にして途絶し、グリセリンもまた、その重要性を失うという危機的状況に直面していた。

しかも、ヨーロッパでは早くから硬化油を原料とした石鹸、マーガリンの製造が始まっていたが、わが国では依然として牛脂(ぎゅうし)などへの依存から脱却できずにいたことから、硬化油の輸出途絶はすなわち市場の喪失を意味し、同社は赤字経営が続き苦境に陥った。

当時、鈴木商店の兵庫工場が製造する硬化油の販売先で「日本グリセリン工業株式会社」というグリセリン製造を目的とする油脂製造会社があった。同社の前身は魚油分解によるグリセリン製造工場としては最も古い歴史を持つ帝国魚油精製(佃工場)[明治44年12月設立]で、第一次世界大戦勃発に伴い一躍同社が製造するグリセリンが海軍に認められ、政府の保護産業として国庫補助を受けることとなり、日本精油工業を合併し大正5(1916)年3月、社名を日本グリセリン工業に改称。政府の要請により火薬原料であるダイナマイト用グリセリンの生産に邁進した。

その後、同社は大戦終結に伴うグリセリンの需要急減により、農商務省工務局の予算の大半を食い潰すありさまで、当時国庫補助の補償期間をまだ3年残していたため、工務局もこの補償については非常に苦慮していたところであった。

そこで、スタンダード油脂社長の長崎英造は久保田四郎とともに工務局の吉野信次工政課長(後・商工大臣、運輸大臣)を訪ね、スタンダード油脂と日本グリセリン工業の合併について協議した。その結果、「両社とも経営が行き詰まっていること、工務局も日本グリセリン工業への補償により破産状態にあることから、両社を合併し事業の合理化によって自立経営に入ることが最善の方策である」というスタンダード油脂の意見が採用され、同局の斡旋を受けることになった。

ところが、新会社には運転資金の余裕がまったくなかったので、長崎は工務局の吉野課長に「政府が低利資金400万円を出してくれれば政府の補助を辞退して、立派に配当が出来る会社にしてみせる」という申し出を行ったところ工務局もこれに同意し、ここに事実上両社の合併が決定した。

その後、両社合併に関する折衝が続けられ大正11(1922)年12月12日、ようやく合併仮契約書が締結された。スタンダード油脂はこの仮契約に基づき、先に同社が鈴木商店から兵庫工場、保土ヶ谷両工場および小樽製油工場を譲り受けるに当たり未払金としていた270万円について、合名会社鈴木商店が同額の発行新株を引き受けることにより資本金に振り替え、150万円から420万円に増資することとした。

一方、日本グリセリン工業は大正12(1923)年1月15日、政府の補助を辞退するとともに、資本金600万円(払込額420万円)を払込額の半額の210万円に減資し、残額の210万円を現金で株主に払い戻すこととした。

スタンダード油脂が、両社の合併が妥結したことを吉野課長に報告したところ、まったく意外なことに、政府の財政難から先に同局から同意を得ていた低利資金は100万円減の300万円しか融通することができないと申し渡された。そこで、その代償として当時問題となっていた輸入牛脂の関税を大幅に引き上げることを見返り条件(*)にして合併の実行に着手した。

(*)当時、石鹸業界では輸入牛脂に関する関税をめぐり、発展途上にあった石鹸工業と新興の硬化油工業との間で利害の対立が起こり、紛糾が続いていた。大正9(1920)年、牛脂の輸入関税はグリセリン工業を保護する名目によりそれまでの5%課税が撤廃された。このことは石鹸業者にとっては念願の吉報であったが、硬化油業者にとっては致命的な打撃となったため、鈴木商店は旭電化工業とともに先頭に立ち牛脂への課税強化を訴え、石鹸業者との対立は一層激しさを増した。この問題は大正15(1926)年に入ると牛脂100斤当たり1円20銭を課税することでようやく両者の妥結をみたが、前記スタンダード油脂と日本グリセリン工業の合併に際しての見返り条件が多少なりとも影響を与えたものと考えられる。

こうして大正12(1923)年2月、不況を乗り切るため強力な体制を整えるべく日本グリセリン工業は解体の上スタンダード油脂に吸収合併され、資本金630万円の「合同油脂グリセリン株式会社」が新発足した。発足当時の役員は次の通りであった。

取締役社長 長崎英造、専務取締役 長久伊勢吉、常務取締役 久保田四郎、取締役 住田多造、西村憲巨、大橋退治、監査役 金光庸夫、楠瀬正一

日本油脂(現・日油)の歴史⑧

  • 帝国魚油精製(後・日本グリセリン工業)佃工場
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