羽幌炭砿にまつわる話シリーズ⑬「羽幌炭砿創立20周年に寄せて(羽幌炭砿鉄道社長 町田叡光)」

いばらの道だった ― 愛山、愛社精神で隆盛 ―

いかなる事業にも創業時の苦難はつきものであるが、特に当社の場合は創立者・金子直吉氏が旧鈴木商店没落後、極度の資金窮迫の状態にありながら創立したもので、当時をうすうすながら知っている私としては、よくも創立できたものと金子氏並びに側近者の苦心努力と精神力に敬服せざるを得ない。

創業後の状態は当社自身の資金難に加え、時(あたか)も大東亜戦争勃発の直前で資材、労力の獲得も容易でなく、かつ事業未だ緒につかざるに大戦勃発し、不完全な設備のまま強行作業をせざるを得ず、その後敗戦。そして敗戦後の混乱。混乱より漸くたち直らんとして不況襲来と国の大変動期に遭遇したので、当社の歩んだ途も誠に「いばらの道」であった。

しかしながら、この間よく難に耐え今日の隆盛をみるに至ったのは金融機関、諸官庁、お得意先、あるいは外注先の絶大なご援助に負うところ甚大であるが、内部においても従業員一同不断の努力をなされたことで、ただただ感謝の外はない。

特に私の最も感銘し、いわば今日羽幌隆盛の基礎をうちたてたものと信じているのは昭和二十五年の大スト時における従業員一同の愛社、愛山精神の勃興であり、当時会社は終戦直後、坑内自然発火に見舞われ出炭は極度に低下し、加えて一部過激破壊分子の煽動(せんどう)により連続、断続スト頻発し、正に倒産寸前にまで追込まれたが、勃然(ぼつぜん)として起こった幹部並びに従業員一同の強烈な愛社、愛山精神はよくこれを克服し、その後全国の炭鉱ストは毎年繰返されるにかかわらず当社のみは一回のストもなく、ストのない山として関係方面の信頼を博すると共に会社業績も断然向上をみたのである。

いまや石炭鉱業は燃料革命により業界未曾有の困難に直面し、徹底した合理化、徹底した技術革新が要求されているが、私はこの強烈な愛社、愛山精神を基盤とすることにより、また基盤としてこそはじめて合理化も革新もなしとげうるものと信じている。

最後に、羽幌の山は漸く満二十歳の成年に達したばかりで、山の寿命はまだ相当長く続くものであると信ぜられる。関係方面の従来の絶大なご援助を感謝すると共に、今後も相変らずご援助下さらんことを切にお願いする次第である。

(昭和35年7月10日付羽幌炭砿の社内報「石炭羽幌」より)

羽幌炭砿にまつわる話シリーズ⑭「羽幌炭砿創立20周年に寄せて(羽幌炭砿鉄道専務取締役 朝比奈敬三)」

  • 町田叡光

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