油脂業界への進出~豊年製油・合同油脂の設立

我国の油脂事業の先鞭をつけた鈴木商店

硬化油工業においても鈴木商店は先駆的な役割を果たした。また、折しも第一次世界大戦が勃発すると硬化油の需要が高まり、鈴木の事業は一気に加速した。

鈴木商店では明治末期から北海道、朝鮮からの魚油を直営の魚油精製所にて精製してドイツその他への輸出を手掛けていたが、大正5(1916)年には兵庫工場で魚油硬化事業を開始し、同時に大豆油の硬化事業にも進出した。

旧来の大豆油硬化法(圧搾法)の改良を模索していた鈴木商店は満鉄が独ベンジン抽出法による操業を開始したことを知り、大正4(1915)年に満鉄経営の「大連油房」を譲り受け、これを大連工場としたほか清水(大正6(1917)年)、鳴尾、横浜(いずれも大正7(1918)年)に工場を建設する。鈴木商店はこれら4工場を大正11(1922)年に分離独立させて豊年製油を設立し、柳田富士松を社長に送り込んだ。

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※「鈴木商店 鳴尾工場便覧」(編集者 小宮小四郎)

魚油硬化事業について金子直吉は人造絹糸における久村清太、秦逸三の場合と同様、学卒技術者の久保田四郎を採用し、硬化油研究をさせたことから始まった。

かくして魚油硬化油製造の目途が立ったことから兵庫工場を、さらに分工場として保土ヶ谷、王子に大豆硬化油工場を建設し関東進出を実現した。王子工場では硬化油、脂肪酸、グリセリン、石鹸などの一貫生産を行うが、王子工場は後に大正10(1921)年にスタンダード油脂に発展し、兵庫工場(魚油硬化油)、保土ヶ谷工場(大豆硬化油)を併合した後、国策会社の日本グリセリン工業と合併して大正12(1923)年、合同油脂グリセリン(後の合同油脂・日本油脂・日産化学)が誕生する。

合同油脂は従来日本では出来なかったグリセリン、オレイン油の製造技術を完成したこと、魚油を硬化油として商品化して輸出に貢献したことが高く評価された。

関連リンク

  • 鈴木商店製油所大連工場(大正5年頃)
  • 鈴木商店製油所清水工場(大正6年頃)
  • 鈴木商店製油所兵庫工場
  • 建設中の鈴木商店製油所王子工場
  • 鈴木商店製油所王子工場

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