帝人の社史に見る「米騒動と鈴木商店焼打ち事件」
帝人の社史「帝人の歩み」第1巻「一粒の麦」に鈴木商店焼打ち事件が記録されている。
昭和43(1968)年6月17日に創立50周年を迎えた帝人が「帝人の歩み」と題する社史を制作。全11巻から成り、それぞれに副題がつけられている。そのうちの第1巻は「一粒の麦」なる副題がつけられ、次の4章から構成される。
第1章 金子直吉と人造絹糸 / 第2章 米沢人造絹糸製造所 / 第3章 帝国人造絹糸株式会社 / 第4章 広島工場の成功
このうち第3章 帝国人造絹糸株式会社の第(3)項では「米騒動と鈴木商店焼打」としてかつての親会社鈴木商店が本店焼き打ちの被害を受けた経緯を詳細に記録している。
作家・城山三郎の小説「鼠」を引用して、城山が詳細な資料を駆使して鈴木の無実と当時の大阪朝日新聞の報道ぶりを伝えている。さらに当時の朝日や中外商業新聞の米騒動記事や写真を転載している。また当時、鈴木商店が政府の命によって外米、特に朝鮮米を買い付けていたことに関連し、この真相を裏付けるものとして当時の農商務省外米課長をしていた河合良成(後の小松製作所会長)の談話を記している。この談話は、昭和33(1958)年2月15日の「実業之日本」誌上で帝人社長・大屋晋三と小松製作所会長・河合良成の対談による。城山三郎の解説と前述の対談部分を以下に抜粋する。
<城山三郎「鼠」>
『・・・鈴木商店はそのころ、政府の命によって外米・特に朝鮮米を買いつけていた。大正7年の米価騰貴に当たっては、26万袋の外米を阪神間で廉売し、また兵庫県知事清野長太郎が廉売資金を募集した時にも、10万円を寄付しているほどで、買占めによる米価の高騰など一切策していない。
にもかかわらず襲撃を受けたのについては、当時は一つには鈴木が米を買いつけているというだけで、既に民衆の憤激を煽るのに充分であった。また、大阪朝日新聞の寺内内閣攻撃の余波が、鈴木商店に及んだことも原因の一つであった。・・・・』
『・・・このために内閣攻撃の余波は、屢々鈴木商店にも及んで、米価騰貴にからんで米殻を買占めていると攻撃されたのであった。さらに当時の新聞は論説中心の時代で、事実の真相究明には余り力を注がなかったので、鈴木商店に買占めの事実があるか否かなどは特に意に介さず、むしろ内閣攻撃の材料として、これを利用することに重きを置いたのであった。後日誤報として小さく訂正はしたものの、敵国ドイツへ米を売った売国奴という攻撃さえ加えている。総てにわたって鈴木商店についての報道は、悪意的に曲解されたものが多く、内閣攻撃のためには手段を選ばぬ感が深かった。』
『・・・・しかし鈴木商店は前述の通り、政府の命に従って外米を買いつけていたので、その間には何の不正もない。この真相を証明するものとしては、当時の農商務省外米課長・現小松製作所取締役会長河合良成の次の談話がある。
"私は外米を政府で買う仕事をしていたので、よく神戸に行って金子さんにお会いしました。金子さんから"今の食糧不足は大変だ。必ず問題が起きます。だから朝鮮米を入れましょう。朝鮮米をうんと私の店で入れるから、これで大阪・神戸あたりの大衆に米を配ってください"という話でした。
"それじゃやって下さい" ということで、鈴木商店は全力をあげて朝鮮米を入れた。そうしてこれを売ったのです。ところがああなると、米のあるところに暴動が起きるのです。
"鈴木が米を持っている。鈴木が米を買占めている"という噂で、恩が仇になった。それで鈴木商店を狙ったものです。妙なものですよ、人間というものはね。僕は当時の事情を一番よく知っている。恩が仇になっている、逆なんですよ。"1)
1)大屋晋三対談"はなしの漫歩"河合良成 実業之日本(昭和33年2月15日)【大屋と河合との対談記事】 米騒動と鈴木商店
大屋:あれは非常に不思議な事件でしたね。その後、河合さん、あんた満州へ行つて、大豆のことをやつておられたことがありましたな。
河合:ええ。
大屋:満州にはどのくらい?
河合:満州は一年くらい。これは岸君の推薦で、星野君の顧問になったわけだ。
大屋:当時われわれの、帝人で、カゼインから繊維を作ろうという話があった。
河合:賀集君や日産の村山さんなどとそれから満州であなたの会社の、もとの金子直吉さんに来てもらつたりしてね。金子さんという人は立派な人だったね。
大屋:帰つて来てからよく話を聞いたものです。金子さんから、昔、鈴木の焼打くつた米騒動のときに、あなたまだ役人で、その方の係だつたという話を聞いた。
河合:外米課長だつた。
大屋:私は鈴木の本社の焼かれたときに入社したんです。だからどういう理由でそういう騒動が起きたのか、まだ小僧だから知らなかつたのだが、あれは表面は、鈴木あたりが米の買めをしてけしからぬというもので、モップに焼かれたんですか。 』