太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑪

モリブデン・クリンカーの落ち込みを徹底した合理化とフェロアロイの拡販によりカバー

太陽鉱工が創立25周年を迎えた昭和48(1973)年は"円"の変動相場制移行(2月)、第4次中東戦争の勃発(10月)に伴う第一次オイルショックなど日本経済にとって激動の1年であり、これらを機に日本経済の高度成長に終止符が打たれた。

一方で、日本の鉄鋼業界はこの年に粗鋼生産1億2,000万トンという戦後最高の生産高を記録し、モリブデンの消費量も前年比約30%増という自由世界諸国中最高の伸びを見せた。これに伴い、太陽鉱工の業績も前年比49.3%という大幅増収となった。

この販売の隆盛を築き上げた根底には、同社の東京支店を中心とする並々ならぬ販路開拓の努力があったことを忘れてはならない。同社は昭和40年代には、鉄鋼大手5社、ステンレス大手3社はもとより、特殊鋼、鋳鍛鋼メーカーをはじめ、大半の鉄鋼メーカーに対する販売体制を確立し、50数社の商社を経て同社製品が納入される需要家は実に200余社に上った。

昭和49(1974)年5月27日、定時株主総会において松岡俊一専務が退任し、取締役相談役に就任。後任の専務取締役には西川栄一が選任されたが昭和50(1975)年5月20日、西川は突然の事故によって亡くなった。

西川は昭和17(1942)年、東京帝国大学経済学部を卒業後に日沙商会(当時、太陽産業の子会社であった)を経て昭和21(1946)年、太陽産業に入社。太陽鉱工本社経理課長、大阪・東京支店長、本社企画部長、常務取締役等を歴任し、自他ともに橋本隆正専務の後継者と目されていた人物であり、同社にとっては大きな痛手となった。

昭和49(1974)年11月23日、同社の監査役として多年勤続した金子直吉の長男、金子文蔵元監査役が亡くなった。金子文蔵は日沙商会の取締役等を経て昭和15(1940)年に太陽産業の監査役に就任し、以後昭和48(1973)年に至るまで実に34年もの長期にわたって監査役として同社に貢献した。

昭和50(1975)年4月1日、モリブデン鉱石について関税割当輸入制度(TQ制)が廃止され、輸入自由化時代を迎えた。これにより、需要家が海外の鉱山や商社から直接輸入できるようになった。しかも、オイルショックによる不況後、コスト管理が厳しくなった需要家の間では鉄鋼用モリブデンの使用形態が大きく転換し、主流は従来のモリブデン・クリンカーおよびモリブデン・ブリケットから操作が容易で飛散ロスがなく、安価な缶入りの酸化モリブデン(モリブデン缶)へと急速に移行した。そして、このことにより当時モリブデン・クリンカーを主力製品としていた同社は大きな試練を迎えた。

折しも、日本経済はオイルショック以来長期かつ深刻な不況に突入しており、同社も昭和50(1975)年2月、売上高の極端な落ち込み等を契機に、ついに鈴木治雄社長名をもって「直ちに抜本的な経営合理化対策を検討すること」が命じられた。これを受け、同社はモリブデン鉱石の在庫調整を進めるとともに、徹底した経費削減、役員・管理職の給与カット、主力工場のレイオフなどを実施していった。

そんな矢先に、前記のとおり合理化の先頭に立って指揮してきた西川専務が急逝したため昭和50(1975)年5月30日、定時株主総会において松岡俊一相談役が専務取締役代行に就任した。続いて同年6月12日、取締役営業部長矢田喜夫、取締役経理部長大木敬三が常務取締役に就任し、経営陣の再建化がはかられ、以後松岡専務代行が先頭に立って合理化対策を推進することとなった。

同社は計画された合理化策を次々に実施していったが、主力商品であったモリブデン・クリンカーの落ち込みによる打撃は決定的で、ついに人員整理を実施せざるを得なくなり、鈴木社長が陣頭に立ち労働組合側との懸命な団体交渉の結果、赤穂工場において54名(24%)の人員整理に踏み切った。

加えて、モリブデン・クリンカーの落ち込みをカバーすべく、フェロアロイ(フェロモリブデンやフェロバナジウム)の拡販に注力したが、同社の業績は一進一退を余儀なくされた。

昭和51(1976)年6月23日、定時株主総会において、鈴木社長とともに各種合理化策を推進してきた松岡俊一専務代行は取締役を退任し、相談役に就任。(きん)(げつ)(ひろし)も監査役を退任した。

昭和51(1976)年の日本経済は政府の景気刺激策と、この年わが国の輸出品目のトップに躍り出た自動車を中心とする輸出の好調によって徐々に回復基調に移行した。自動車の生産増と輸出の好調に支えられ鉄鋼業界の中でいち早く立ち直りを見せた特殊鋼の回復を背景に、同社のフェロアロイの売上はようやく前年比増となった。

太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑫

  • 赤穂工場(昭和55年頃)
  • テルミット炉(赤穂工場)
  • アルミニウム溶解炉(赤穂工場)

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