製造業への進出~樟脳、薄荷、セルロイド事業

神戸で樟脳、薄荷、そして網干でセルロイド事業に進出

明治33(1900)年、鈴木商店は台湾の樟脳油の販売権を取得したことを受け、神戸旭通に「直営樟脳製造所(再製樟脳製造)」を設立し、精製された樟脳の輸出に乗り出した。さらに住友樟脳を買収し、これが現在の日本精化につながる。鈴木商店は大正8(1919)年に再製樟脳(現・日本香料薬品及び日本テルペン化学)を設立し、樟脳事業を拡大した。

明治35(1902)年、鈴木商店は個人企業から資本金50万円の合名会社へ改組し、同年薄荷製造所(現・鈴木薄荷)が神戸・葺合に設立され、明治36(1903)年には神戸・磯上通に新工場を建設した。薄荷事業は、外国商館の一つ、ラスベ商会に売り込みに行った金子直吉は、同商会が我が国の特産品の薄荷に強い関心を示したことからその需要を認識し、砂糖、樟脳とならんで初期の主要品目に育て上げた。

当時、天然樟脳を主原料とするセルロイドが新素材として注目を浴びていた。また金子は神戸の外国商館で見た人絹糸(蚕ではなく、人工的に製造された絹)に衝撃を受けた。しかもこの人絹の製造はセルロイドと工程が重なるという。

そこで金子は、神戸樟脳事務局にいたセルロイドに詳しい松田茂太郎を鈴木商店に入社させ、明治41(1908)年に当時セルロイド輸入大手であった岩井商店(現・双日)と三菱とともに「日本セルロイド人造絹糸(現・ダイセル)」を設立する。 

関連リンク

  • 日本樟脳(現・日本精化)
  • 薄荷脳
  • 日本セルロイド人造絹糸網干工場
  • セルロイド商品(世界初のプラスチック)
  • ダイセル異人館(旧外国人技師住居)

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