鈴木商店の商品シリーズ②「樟脳の話」


033.jpg「20世紀初頭、セルロイドの原料となる樟脳の世界最大の生産国となった日本」

樟脳は、その原料のクスノキがアジア、特にボルネオに産することから樟脳の別名として、「ボルナノン」とも呼ばれる。クスノキの葉や枝をチップ状にして水蒸気蒸留し結晶として得られる。

残った黄褐色の液体を樟脳油といい、これをさらに精留して白油」(片脳油)、赤油、藍油などの香料、医薬品の原料が得られる。かつて樟脳油は使われず廃棄されていた。鈴木商店の金子直吉は、台湾樟脳油の専売制による独占的な販売権を獲得して、躍進の足掛かりを得た。

鈴木商店は、「樟脳油」を精製して「再製樟脳」を製造する直営樟脳製造所を設立し、製造業に乗り出す。同時に「粗製樟脳」の精製工場も設立して、再製樟脳から精製樟脳まで業容を拡大して行く。

樟脳および樟脳油の専売制が内地にも実施された明治36(1903)年当時の生産量は、

(地域)  / ( 樟脳)   /  (樟脳油)   /  (合計)

内地 / 818,061斤(490t) / 827,907斤(497t) /1,645,968斤(987t)

台湾 / 3,588,814斤(2,153t) /2,670,561斤(1,602t) /6,259,375斤(3,755t)

合計/ 4,406,875斤(2,643t)/ 3,498,468斤(2,099t) /7,905,343斤(4,742t)

世界の樟脳の総需要量は、大正5(1916)年時には1,200万斤(7,200t)、これに対し日本の生産量は860万斤(5,160t)と70%以上を占める世界最大の生産国であった。 しかし、樟脳の主要な用途であったセルロイドが戦後、石油系プラスチックに置き換わると樟脳の生産は激減する。

 【広辞苑】樟脳油:樟脳を蒸留・分取した残余の精油。帯黄色ないし帯褐色。これをさらに分留して白油・赤油・藍油を製する。白油は防臭・殺虫用、赤油は石鹸香料・サフロール製造原料、藍油は防臭・殺虫などに用いる。

金子と同じ四国・土佐出身の岩崎弥太郎も土佐藩の樟脳生産の利権を獲得し、セルロイドの原料としての樟脳を米国に輸出し、莫大な利益を得た。また、土佐藩の資産を引き継いで土佐商会を興し海運業に乗り出したことが三菱の基礎を築いた。正に樟脳と軍艦で岩崎は財を成した(「樟脳と軍艦」岩崎弥太郎伝 勢九二五(きおい くにご)著)。 岩崎が金庫番を務める海援隊の坂本龍馬が有名な「船中八策」をまとめた"夕顔丸"は、樟脳取引の利益で購入したとされる。坂本龍馬、岩崎弥太郎、金子直吉の土佐人3人に共通する物が樟脳だったことは興味深い。また後年、三菱と金子が樟脳を原料とするセルロイド事業(日本セルロイド人造絹糸)で手を組んだことも奇遇である。

  • クスノキの巨木
  • クスノキの実
  • クスノキの葉

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